●今年も平和行進の季節がやってきました。
中原区のメンバーは、平間公園で幸区からリレー旗を引き継ぎ、新城公園まで行進します。そして翌日高津区に引き継ぐのです。
私は職場に入ってから毎年、全労働組合員として平和行進に参加してきました。神奈川県内全てのコースを全労働組合員が歩いているのが、私の密かな誇りでした。リレー旗は一日も休むことなく、掲げられてきました。「平和の全労働」等ともいわれたものです。
全労働時代に県内殆どのコースを歩きましたが、この10年は、中原コースのみ。
●中原の自慢は、平和館での休憩です。
第一の自慢は、昼食として地域の原水協や新婦人の方が、おむすびとおしんこを手づくりで用意してくれることです。300個でしたっけ、こんな地域は他にありません。毎年嬉しく、かつおいしく頂いています。
第二は、平和館の由来です。
米軍は占領直後、東京航空計器があったこの場所を接収し、極東一の出版センターを作りました。朝鮮戦争やベトナム戦争時には、謀略ビラなどがここで作られていました。
1965年頃から基地返還運動が起きる中で、交通事故で死亡した小学生をきっかけとして歩道橋をつくる際に基地の一部を返還させ、二ケ領用水改修工事のための一部返還などを実現してきました。
1970年頃には、高校増設運動が高まり、「高校と公園を」の請願や陳情を繰り返しながら、ついに1975年には基地全面返還を実現させたのです。
その跡地に、1980年には県立住吉高校を、1983年には平和公園、1986年には平和館がつくられます。
●伊藤革新市政と結びついて、市民の素晴らしい運動が進み、この一角がつくられたことに感動します。
中原区長と平和館館長の行進団への挨拶も、平和の意義をしっかりと伝えてくれました。
また、中原原水協が、この地域の歴史を毎年参加者に伝えてくれます。
ちなみに、平和公園と平和館を使用して、1985年から「平和をきずく市民のつどい」が毎年開催され、公園内野外音楽堂では、「平和コンサート」が開かれています。また最近では、すぐ脇を流れる二ケ領用水で、多くの子ども達が参加する「灯ろう流し」が行われています。
まさに平和の拠点であり、市民の財産です。(2019.5.8)