●残念かつ不思議なことがありました。既にFBでも簡単に報告しているのですが、記録の意味も含めここでも記します。
それは第二定例会が本格化する15日の団長会でのことです。
立憲民主党・民権クラブ(以下、立民と記させていただきます)団長から「昨年6月の団長発言は間違っていた。その事を認め謝罪したい」と、一年前の発言撤回の意向が語られました。「グループ分けについては、再度ご検討を願いたいので、何とぞお取り計らいのほど、宜しく願いたい」とも。
●ここで「グループ分け」というのは、2015年、「水ビジネスに関わる海外視察は県民の福祉に資さない」と共産党が発言したことに対し、他会派全てから撤回を求められたことに端を発します。
撤回を求められること自体が、とても異常なことです。各会派が様々な見解を持つのは当たり前のことですから。
さらに異常なことは、共産党が撤回しなかったことに対し、自民党初め他会派は、「考え方が違う共産党とは視察をともにすることができない」として、当の海外視察はもとより、国内の各常任委員会視察全てから共産党を実質的に排除した事です。この実質的排除を「グループ分け」と称しています。
●この排除に対し、私達は毎年この不当性を訴え是正を求めてきましたが、4年間「グループ分け」は続きました。
選挙で改めて選ばれ、新しい任期となった昨年、自民党から再び4年前の「海外視察と水ビジネス批判」の撤回が共産党に求められました。私達は、これまた当然ながら撤回しませんでした。(但し、海外視察一般を全て否定している訳ではありません。念のため)
その結果、「新しい任期においても、共産党を委員会視察から排除する」との団長会の見解が示されました。この時に当時の立民団長から「(共産党とは)視察を共にできないほどの違いがあるとは思えない」との発言があったのです。
すると驚くべきことに、そういう認識の存在は許さないとばかりに、「立民も視察を共にはさせない」という事が、団長会で決められてしまったのです。
まさに、「排除されている人をかばう人は、同じく排除する」という理屈です。この稚拙な理屈に呆れかえる思いでした。
●冒頭の「撤回」は、昨年の「違いがあるとは思えない」という発言を撤回する、立民としての態度を変えるという意味です。
私達は、全国で野党共闘が進む中、昨年の発言を歓迎しましたが、今年の唐突な変化には驚いています。
「なぜ?」とか「背景は何か」と聞かれますが、全て推測でしかありません。せめて理由を付して撤回してほしかったんですけどねえ。
但し、現象的に言えることは、昨年僅かに変化の兆しを見せた各会派の自律性が消え去り、再び、自民党のおきてに従う構図が出来上がったという事です。(2020.5.15)