●県議団視察最終日は、宜野湾市役所へ。
市役所正面の垂れ幕に思わず声を上げました!「普天間飛行場早期返還!オスプレイ配備反対!政府は日米地位協定を抜本的に見直せ!」が堂々と掲げられています。
でもこれは誇っている場合ではなく、それだけ切実であることの表れです。今は、革新市長ではないのに、ここまで打ち出さざるを得ないほど基地の矛盾が激しいという事だと思います。
市役所内の1階フロアにも「普天間飛行場へのMV-22オスプレイ配備反対!!」の横断幕が。
市役所と住民が一体となって、政府やアメリカに切実な要求を突き付けている事に、自治体の真っ当な姿を見るような気がして、事の深刻さとは別に感動を覚えたのでした。
●住宅密集地の真ん中に普天間飛行場が広がっている図は、沖縄の矛盾を象徴しています。
戦前宜野湾村の中心は、普天間飛行場の中に位置していました。役場や学校、病院、集落などが広がっていたそうです。それが、1945年に上陸した米軍に強制的に接収され、機能拡大を伴いながら現在に至っています。
普天間飛行場とキャンプ瑞慶覧を合わせると、市面積の30%が米軍施設、そこを除くと人口密度は東京や大阪を上回ります。また上下水道なども基地外を大回りするため、設備費が過大になっています。
基地を返還させると、いかに豊かなまちづくりが可能になることかと思います。
●騒音は一日当たり33.3回という深刻な状況。夜間も激しさを増しています。
普天間飛行場所属機の事故は137回(1972年~2019年1月)。2004年の沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落・炎上がよみがえります。最近も、普天間第二小学校に米軍ヘリ窓の落下、緑が丘保育園への部品落下などがありました。
これらは奇跡的に人命被害には至りませんでしたが、重大な脅威の中で市民は暮らしています。
1996年の「SACO最終報告」で「今後5年ないし7年以内に、充分な代替施設が完成し運用可能になった後、普天間飛行場を返還する」としてから23年が経ちました。
「充分な代替施設・・・」のくだりが屈辱的です。
●跡地利用については、県と共同で策定した「全体計画の中間とりまとめ(平成24[2012]年度)」を基に、大規模公園、広域幹線道路・鉄道などのルート検討など進めています。
2015年に返還となった市内のキャンプ瑞慶覧は、沖縄健康医療拠点としての計画が進んでいます。
住民のためのまちづくりに期待が募りますが、それにつけても一日も早い返還が求められます。
この日の午後の視察報告は、また次回に。(2019.11.13)