●映画は、ナヌムの家での暮らしを中心に描かれてます。今回お話しされたイ・オクソンさんを初めとし、仲間たちとの日常が微笑ましい場面とともに映し出されます。
子どもに還ったようなやり取りにホッとしたりもしましたが、やはり一貫して、いつになったらきちんとした謝罪が行われるのか、自分たちの人生にけじめをつけることができるのか、といったやりきれなさが漂います。
年を重ねながら、水曜デモも1400回を越えています。彼女たちの訴え続ける姿も、もちろん描かれています。
そして今回気付かされたのは、当たり前のことながら、ここで共に暮らす人たちが、一人、二人と減っていくという事です。
●10代子ども達が(中には9歳の子もいたと)、突然暴力的に、収容所にも似たところに連行され、連日30~40人の日本兵の相手をさせられる、逆らえば殴られる、刀で切り付けられ死んだ人もいる、死体は、道路に投げ出され野犬に食べられる、逃げても捕えられる……戦後だって、故郷に帰れない人も多く、苦難の人生が続きます。人に語れない人生を抱えたまま亡くなった人も多く。
●イ・オクソンさんも、中国での暮らしから58年ぶりに祖国に帰ることができましたが、両親は亡くなっており、自分の死亡届が出されていたことを知ります。兄妹には歓迎してもらえず、その後ナヌムの家で暮らします。今92歳。
これらの場面に接しながら、「慰安所は無かった」「強制的な連行ではなく、希望して行った」などと言う発言に怒りを覚えます。
先の黒岩発言も本当に許せません。愛知トリエンナーレの「少女像」等に関わって、「あれは表現の自由ではない」、「慰安婦の強制的な連行などと言うのは、韓国の一方的な見解」と言っているのです。
●私はいつも言うのですが、いわゆる「性産業」に関する情報など一切ない当時の子どもが、「慰安所」で稼ぐなど思いつくはずがありません。自ら希望する余地などありません。
そして何より、強制的な連行であるかどうかなど問題にするまでもなく、10代にさしかかった様な子どもたちに、毎日、数十人の兵隊の相手をさせる、これだけでも犯罪です。
こんな屈辱的な話を、作り話で自らのこととして言うなどあり得ません。この事実を世に明らかにしたいから、過ちを繰り返させたくないから、彼女たちは、血を吐くような思いで語っているのです。
この証言を虚偽などと決めつける人間の不遜さは、実に罪深いと思います。黒岩知事にもこの話を突き付けたいものです。
何十年も多くの人から証言がなされています。この思いを受け止めるべきです。そして、せめて真摯な反省と謝罪を行うべきです。
●映画には、8年前にナヌムの家を訪れた時に親しく言葉を交わした人たちも、多く登場します。時間が経ったなあーとも思います。
問題はさらに困難にもなっています。
「女たちの戦争と平和資料館」の池田理恵子さんも、この日次のように語っています。
「安倍政権の下で教育とマスコミへの介入が強化されています」
「教科書へのバッシングが続き、かつて中学生全ての教科書に記述されていた慰安婦問題は、全て消え去りました」
「1999年以降、NHKでは慰安婦の企画は一切通らなくなっています」等々。
●車椅子で登場したイ・オクソンさんは、論旨も明快に訴えました。92歳の方の言葉とは思えないほど力強かったです。
彼女たちが生きているうちに、政府に誠実な謝罪をさせなければ、本当に同じ人間として顔向けができない思いです。(2019.10.5)