44回目の平和コンサート「みんなでつくった平和公園 みんなでつくろうコンサート」……このように毎年ブログに書き込む行事のなんと多いことか。川崎には先輩たちがつないできた取り組みがたくさんあります。川崎市民として、私はこれらが誇りです。
色々な場面で何度か書いていますが、このコンサートも平和公園ならではのもの。朝鮮戦争やベトナム戦争の謀略ビラなどを作っていた極東一の米軍出版センターがあったこの地は、「基地を返還させ、県立高校と公園を」という市民の粘り強い取り組みを経て、1975年に全面返還されます。
返還後、1980年には県立住吉高校、1983年には平和公園、1992年には平和館が造られます。1982年には政令市初の「核兵器廃絶平和都市宣言」も行っています。1983年以来、平和公園を記念して続けられてきたのが平和コンサートです。
中原区だけではなく市内外から参加する方が結構いますから、懐かしい方を含めいろんな方に会えるのが楽しみのひとつ。今年は私が上映責任者を務める映画「武器なき闘い」のチケット普及のために会場内を行き来して、ゆっくりお話をすることもままならなかったのですが。
実に12組の合唱や演奏がありますから3時間近く。私はやはり「国鉄歌う会」に惹かれます。「俺たちのシルクロード」などは、いつもジーンときます。
1.どんなたからよりも 大切な愛をのせて 朝もやの中を走り抜ける
*トレーン トレーン トレーン 俺達のシルクロード 俺達のロード シルクロード
2.水色のときには 断ちがたい別れをのせて 夕立をけって 走り抜ける
*(くり返し)
3.「遠いふるさと 離れて暮らしていても いつまでも忘れない 心つなぐ
*(くり返し)
なぜ惹かれるのか…学生時代の国鉄労働者の闘う姿も忘れられないのですが、この歌詞で気づいたのは、鉄路は人と思いを繋ぐからだと思い至りました。雨の日も雪の日も「朝もやの中を走り抜ける」姿は、心に響きます。
このコンサートは、原水禁世界大会の参加者を送り出す場でもあります。コンサートの最後に、大会参加者が思いを語り、皆で「ビリーブ」を歌い、「原爆を許すまじ」を歌います。
小泉防衛相が「非核三原則」を知らないかのように、核保有などについて「あらゆる政策をタブーなく議論しなければならない」と息巻いている現在、高市首相が9条改悪の「時はきた」と叫んでいる現在、私達もまた「核も戦争も拒否する」ことを宣言します。武器は平和を生み出すことはできませんから。(2026.7.19)




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