●また巡ってきた平和行進。「核兵器のない平和な世界を」と求めて1958年に始まったこの行進、今年で68回目になります。
今回は、平間公園で幸区からリレー旗を受け取り、中原平和館までの参加。午後からは事務所当番のため、残念ながら行進はお昼で切り上げざるを得ず。
●歩きながらしみじみ感じたことは、平和行進の願いが、現実の社会と結びついてきたなという思い。
2017年の「核兵器禁止条約(仮訳)の国連採択」は、うれしさはもちろんですが、実は驚きでした。「あーこういう壮大な願いが実現するんだ」と。そして昨年の被団協のノーベル平和賞受賞、「世界は、この地道な長年の取り組みをちゃんと見ていたんだ」とにわかには信じられない気持ちでした。
この二つに大いに励まされ、私たちの一歩一歩が無駄でないことを実感しました。
●残された大きな課題は、日本が核兵器禁止条約に参加することです。
既に世界の94か国が署名、73か国が批准。日本でも61%の国民が「日本も条約に参加すべき」との調査があります。唯一の戦争被爆国である日本が参加すれば、世界の平和を願う人々をどれほど勇気づけることでしょう。日本が参加しないことを、世界は不思議な思いで見ているのではないでしょうか。本来なら日本政府が先頭に立ってもおかしくないのに。
アメリカへの従属の下で、核兵器をなくせと言えない政府、その政府を乗り越え、市民運動が粘り強く訴え世界に発信してきた誇るべき取り組みです。
●私の平和行進は52年間続いてきました。公務員労働者であった頃、全労働(全労働省労働組合)組合員としてほぼ県内全域を歩きました。
県下の各分会が繋ぎ、すべてのコースで全労働の旗を掲げてきたことが、全労働そして私の自慢でした。(その点では最近は全労働の旗が一部にとどまっている由、寂しい限り)
長く続ける運動の難しさや世代の特徴もあり、従来の運動形態も問われると思いますが、私は意義を有し続けてきたことが、明確な理由もなく細っていくことには抗いたいタイプで・・・
●コロナを何とか乗り越えてきたこの力、以前に比べていくつかの縮小はありますが、二つの大きな到達点に励まされながら、引き続き日本にも世界にもはばたかせたいと、ひとしきり願う平和行進でした。(2025.5.8)