●私の叔母(父の妹)は、夫が亡くなってからおよそ10年千歳市で一人暮らしをしていました。子はいませんでした。
その叔母は、4月に自宅で倒れて入院し、意識が戻らないまま6月1日に亡くなりました。
兄と弟と私、いとこの4人が千歳に向かい、葬儀と納骨を済ませ、各種手続きを時間が許す範囲で行ってきました。
●その住まいは、叔父がこだわりを持って造り住んだことを偲ばせるものでした。また室内は突然倒れたにもかかわらず、きちんと片付いていました。自分で洗濯し干した衣類がハンガーのまま室内に下がっていました。88歳になる4日前まで自立して暮らせたことはよかったなと思います。
問題はこの後です。この愛着もって関わってきたであろう家と庭は、誰も引き継ぐことができません。私たち4人はいずれも東京近辺に住んでいます。このまま売却できるか、解体せざるを得ないのか、いずれにしても寂しさがぬぐえません。差し当たって家の庭が気がかりです。伸び放題となって近所の方の気をもませるのでは。
●最小限の手続きをするために、引き出しなどを開けると懐かしいものが飛び出してきます。私たち兄弟や母の便りが保存されています。45年前の私の結婚式の写真も。
とりわけ、私の母の手紙は優しく、度々送られていて、改めて母を偲ぶ機会ともなりました。
写真は祖父の代まで遡り、始めてみる写真もあり、ルーツをたどるような気持ちにさせてくれました。
●近所のお世話になった方々数人と私たちとで告別式を済ませ、千歳市の共同墓地に納骨しました。
その後、市役所を訪れ諸手続き。これら事務的に行えるものはまだいいのですが、この後不動産の処理などドカッと控えています。
結構煩雑な事や時間がかかるものもあり、手続きができないまま宙に浮くケースもあるだろうと思いました。全国各地でこのようなことが今後もますます増え、自治体の負担も増加していくのかと複雑な気持ち。
相続(負の相続も含め)も、精査したわけではありませんが簡便にする余地はないのでしょうか。現状では、諦め放置されてしまうことも少なくないのではと思わせられました。
●一つの家が幕を閉じることを実感した2日間。思い出は人生にとって大事な要素だと私は思っていますが、その思い出抱え、人生に愛着持つ人たちも(自分を含め)いずれ旅立つ・・・というはかなさも覚えるのでした。
北海道の風景は、あくまでもさわやかで、様々な場面で出会った人々もおおらかで親切、追い詰められたような緊迫感とは無縁の表情。やはり北海道はいいな。
叔母の死で、私の好きな北海道、生まれ育った地に親せきは一人もいなくなりました。時は容赦ないものですね。(2024.6.7)