●県職員過労自死をめぐる訴訟の第三回口頭弁論が30日にあり、傍聴しました。
2016年11月14日、当時37歳だった職員が自ら命を絶ちました。県がこの事実を隠蔽し、かつ謝罪がなかったことに対し、亡くなった職員のお母さんが「このままでは同じことが繰り返される」との思いから、2019年11月13日県を提訴しました。
●当初、県・知事は応訴すると表明し、これまでも請求棄却を求める答弁書を提出していました。ところが、この日は変化が見られました。
被告側代理人は、極めて聞き取りにくい声でしたが、第三者機関(*)がまとめた報告書の内容を争わないと述べました。 (*神奈川県職員等不祥事防止対策協議会 パワーハラスメント緊急調査チームによる)
伝え聞いた被告側の資料においても、「長時間労働の具体的内容について認める」「被災者の自死の公務起因性及び安全配慮義務違反については争わない」パワハラについても「指導の方法に問題がなかったとは言えない」等の文言が散見されたそうです。
●報道によると知事は、30日の記者会見(20分過ぎから4分間程度)でも、「裁判所から示唆があれば、和解に向けたテーブルにつくことは当然だ」と述べたそうです。
これらはもちろん歓迎すべき変化なのですが、私は複雑な思いに駆られます。今回「当然だ」とまで言うのなら、提訴の時に「請求棄却」を求めたのは一体何だったのか。
さらにいえば、昨年お母さんが提訴するまで、職員の死をひた隠しにしてきたのはなぜなのか。
この点をきちんと説明し、反省すべき点を表明するのでなければ、到底納得がいきません。
●またこの死が、災害のように訪れたものではなく、まさに知事から発せられたものによることも重大だと思っています。
第三者機関による「報告書」にも次の記載があります。
「広報戦略を柱に知事の思いを実現するための体制を摸索中の過渡期の状態で、グループ員の数が少なかった」
「業務のやり方が組織的ではなく、主にグループの若手職員3名がAに直結する形で仕事をしていた」(Aとは知事室在籍時の上司。この人によるパワハラの有無が争われている)
「知事の特命事項なので業務負荷その他の理由で断ることは不可能であり、また明らかに成功の見込みがない事業であったり、実際やって上手くいかなかったりしても、止めることはできず、実現できる方法や改善策を考えなくてはならないプレッシャーがあった」
●私はここに記載された業務が、「知事の思い」や「広報戦略」等、県民にとって必須とはいえない仕事を強制され、命まで奪われたことが無念でならないのです。
百歩譲ってこの業務を、職員の仕事として認めるとしても、忙しい職場にこれらを課すのであれば、もっと的確な枠組みを示さなければなりません。「知事の思いを体現化」するなど、誰によっても容易にできることではないのですから。また職員に長時間労働を強い、怒鳴りながら行われる「知事の気に入る広報戦略」などあり得ません。
●上司のパワハラまがいのやり方、安全配慮義務違反を認めた人事管理全般、等々問題とすべきことは山ほどありますが、問題の発端としては、「知事の思い」を色濃く反映させる事の責任が問われなければなりません。
この「知事の思い」というのが、県民からも広範に支持されるような正当性を持ち、また県民生活の向上を明確に視野に入れたものであれば、事態は違っています。職員は、現存の制度の検証をしながら、あるべき政策を具体的に探ることができます。
これらに当たらないアピ-ル度を競うような仕事は、自治体行政とは相いれません。この犠牲を生み出した知事の態度を改めることが、県政の視点から必要です。
●知事の姿勢とともに、何より悔しいのが、若者の命を失わせてしまったことです。この先、裁判で勝利したとしても謝罪があったとしても、その命が存在しないという事実、わが子を救えなかったという事実は変わりません。
私達母親の慟哭は終わることがありません。この若者が命を落とした1か月後、私も娘を失っています。 (2020.7.30)