●中原革新懇の総会も12回目を数えました。創立の時に少し関わりましたが間もなく県議となり、役員から抜けることとなりました。
それ以来、市民運動や野党共闘などの受け皿として貴重な役割を果たしてきました。「革新懇があって良かった」という場面が少なからずありました。
●総会のオープニングには「平和の歌声」があります。今年は「折り鶴」「この町から」「花をおくろう」の3曲。「折り鶴」を聞きながら涙ぐんでしまいました。「この胸のいたみを うたごえに託して 焼けあとの下から ここまで歩いてきた」のところで思わず涙。ガザやウクライナの光景もダブります。
●次のプログラムは戦後80年企画として、中島邦雄さんによる「東京大空襲を語る」。中島さんのお話は、私は以前にもインタビュアーとして詳しく伺ったことがあります。
中嶋さんが学童疎開をしている間に、東京大空襲で両親と二人の弟と妹を失いました。3月6日付で家族からの便りは途絶え、裏山に登り東京方面を眺めながら迎えを願っていたそうです。10歳の少年がどんなに心細かったことか想像を絶するものがあります。
中嶋さんはこの時も仰っていましたが、疎開に関わって言っておかなければいけないことは、単純に「子どもたちの安全を願って」ではなかったことです。障害のある子は疎開できなかったのです。疎開は兵士の供給源を温存するためだったからです。
戦争の闇はいくら語っても尽きることはありません。
●中原区の市民運動は多彩かつ粘り強く続いています。かつて「横須賀線武蔵小杉駅を改善する会」や平間踏切と向河原踏切の「改善する会」も頑張ったし、今「西加瀬巨大物流倉庫を考える住民の会」や「等々力緑地を守る会」も暮らしや緑を守るために奮闘しています。2019年の台風被害で川崎市の責任を問う裁判原告団も、中原の住民が中心的な役割を担っています。
そして、私が呼びかけ人となった「南武線ワンマン化を見直す中原区の会」も、今回市民運動の列に加わりました。
私は、その前日行ったJR東日本本社申し入れの一部を報告しました。
現在のJR東日本の本質をよく表していたのが、ワンマン化の中止を求めた際の「乗務員は人でしかできない仕事にシフトさせていくのでご理解を」という回答。
私は思わず、「車掌こそ人でしかできない大切な仕事だと思うが、JRはいったいどんな仕事を想定しているのか」と問いました。すると「新たな価値を創造する仕事」ときました。
JRは、公共交通として安全な鉄道輸送に最大限の力を注ぎ、交通権を確保すべきです。南武線に止まらないJR全体の問題であり、基本的人権を保障する交通権の問題であることを、皆さんにも訴えました。(2025.6.7)