●娘の優が突然逝ったのは、2016年12月9日。それから6年が経ちました。
その日に先立つ12月3日、7回忌で優を偲びました。この日は親せきが中心。
友人たちはまた別の日に集まることになりました。
●この間、優のお墓を武蔵小杉に移すことができました。当時、慌てて造ったのが横浜。宗教にあまりこだわっていなかった私たちはお寺ではなく霊園墓地を探して、空いている一番近い場所として選んだのですが、なじみがない場所は寂しすぎました。近くのお寺の墓地があいていることがわかり、昨年引っ越したのでした。
優は、生まれ育った武蔵小杉が好きでした。このお寺の近くは小学校から学童保育に向かうときに「近道で優もよく通っていたよ」と息子。ここなら優も寂しくないかなと思いました。
●いつも説明しなければ一目ではわからないのが、お墓に刻まれているお花。ガーベラのつもりで、デザイン化に苦労しました。
なぜガーベラかといえば、2015年安保法制に反対する闘いが大きく繰り広げられていた頃、優は、Hさんなどとともに「小杉から平和を」という呼びかけでこの地域での取り組みを進めていました。何度か大きいデモも小杉発で行っていました。
フラワーデモと称して道行く人に花を配りながら、平和と憲法の大切さを訴えていました。
その時の花がガーベラ。優がいなくなってから、ガーベラは特別の花になりました。
●法要の後、優のお墓に案内をし、その後会食。その会場には、私が昔描いた小さな頃の優の姿が。これは私も知らないうちに夫が用意していたのです。
優は声も体も大きく存在感のある子で、友人たちが集まれば必ずいくつもの優の「伝説」が語られ、笑いとともにその話は尽きることがありません。
親戚の中では、そのような「伝説」とは少し違いますが、優の優しさが多く語られます。おばあちゃん(私の母)が亡くなる頃、忙しい中でもおばあちゃんと同居していた兄の家に度々足を運んだこと、大学生の頃、別の大学に通ういとこを招き学食で交流を重ねたこと、ニューヨークに旅するいとこに、自らが住んだ事のあるニューヨークを懇切丁寧に紹介していたこと等々。
●6年たってもまだまだ、他の方のお話の中には、優に対する新しい発見があります。「あーこんなに元気で優しい子だったのね」と思いながら、母親ながら感心したりします。
どうしたってここに優がいないことは寂しく悲しいのですが、優に負けず誠実に生きようという思いになります。
自宅に届けられたお花には「一緒に過ごした日々や優ちゃんの数々の武勇伝は、いつも私たちを笑わせてくれるよ」「優ちゃん、月日が流れるのは早いね。また会いに行くね」などのメッセージが。また涙です。
学童で一緒だったMちゃんのメッセージは「この間優ちゃんの夢を見ました。優ちゃんは変わらず優しくて元気でした」と。(2022.12.3)