君嶋ちか子

きみしま 千佳子
戦争する国づくりストップを!
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神奈川県議会議員
活動日誌

武力行使をする国になれば、命を守れるのか |君嶋ちか子|神奈川県会議員

2022年3月28日

●2月24日にロシアがウクライナへの侵略を開始してから、一カ月が経ってしまいました。

国連機関の発表によると、民間人の死者1081人、負傷者1707人とされています。

ウクライナ国民は356万人(21日)が国外に逃れ、648万人(16日)が国内避難とされています。この時点で、一千万人超、国民の約4人に1人が家を追われています。

世界中で抗議の声が上がっています。

3月2日国連総会で、141か国の賛成でロシア非難決議が採択されたことに続き、24日国連総会緊急特別会合では140か国の賛成で「ウクライナに対する侵略の人道的結果」と題する決議を採択しました。これらの決議賛成国は、かつてない数に上りました。

●この1カ月、「ロシアは軍事行動をやめよ」「ウクライナから撤退せよ」と声を上げながら、様々なことを思い、口にしてきました。

一つは「もしもロシアに9条があったなら」ということです。「権力者は過ちを犯しがち。でも、その権力者を縛るものがあったなら」と切実に思いました。日本が戦後77年、戦争で人を殺したり殺されたりしなかったことに、憲法の重みを知る思いでした。

ロシアのふるまいを目の当たりにして、「やはり武力を持たなきゃ」と改めて思ったという方に少なからず出会います。私はその度「武力を持っていたって命を失い傷つく。戦争をしないという決意の下に外交力・政治力で戦争に至らせない。ここが最大の勝負」と。

「9条は、戦争をしない、させないという覚悟」と実感します。

●昨年12月、岸田政権は歴代政権で初めて「敵基地攻撃能力の保有」を、国会で表明しました。この場合の「能力の保有」は、移動式ミサイル発射台が当たり前の現在、特定の場所を攻撃することでは用をなさず、相手がミサイルを打つことを躊躇するほどの能力を持たなければ成り立たないといわれます。安倍元首相が言った「相手をせん滅するほどの打撃力の保有」はまさに「本心の吐露」だったのでしょう。

この能力は「自衛のために必要」といいますが、これは紛れもなく先制攻撃です。日本がもしこの能力を現実に行使するようになれば、他国から見ると「先制攻撃をする国」となりますから、他国の標的となる危険性は格段に高まると思います。

私はこの危険性を冷静に比べてほしいと思うのです。まともな政治・外交を繰り広げ、戦争はしないという決意を表明する国が、他国から万が一の狂気の攻撃を受ける確率と、先制攻撃をする国として他国の攻撃に常に晒される危険性と、どちらが大きいか。

「危ないから武器を持とう」という漠然とした発想ではなく、リアルな想像力をはたらかせてほしいと思うのです。そこで「イマジン」の歌詞が浮かびます。

●「それでも攻撃されたらどうするの?」という声も多く、そこで「最小限の自衛」のあり方が問題となります。これについては、今のところ私が考えた個人的見解の範囲ですから、もっと検討を加えることが必要ですが。

他国の領土を攻撃する能力を持たない、つまり長距離爆撃機や攻撃型空母を持たないことを前提にして、攻撃の口実をつくらせない粘り強い交渉、ここから自衛が始まっています。

そして万が一攻撃された場合、その時の状況によるので定式化は困難ですが、国民の命を守ることに徹することが必要です。国民の避難と停戦への努力に最大限の力を注ぐべきだと思います。

極端な例として、国民が避難をした国土を相手国が占拠したとして、その後の世界の評価も含めて何を得ることができるのかという事です。その国が力づくで目的を果たすことは、トータルでは決してプラスにはなりません。

●いずれにしろ武力行使できる国とすることが、相手の武力行使を抑止するものではないことは、これまでの例でも明らかです。「怖いから武器を持つ」はリスクを高めることこそあれ、無血の保障ではないのです。

武力対武力で、互いの武力をエスカレートさせた場合、行き着くところは核兵器使用となりますが、そこに至れば、「勝った国」も「負けた国」もない人類の負けです。

この野蛮な理論から、脱却すべきです。(2022.3.24)

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