●テニスの大坂なおみ選手が、5月27日に全仏の大会で会見に応じないことを表明。会見拒否の場合は罰金1万5千ドル(約165万円)を科され、違反が続けば全仏で失格、他の4大大会で出場停止となる可能性があるそうです。
彼女は「ルールの一部がかなり時代遅れだと感じたためで、それを強調したかった」とし会見出席の義務に異論を唱えていました。
●彼女は31日には、「2018年の全米オープン優勝以降、長い間うつを患い、対処するのに本当に苦労してきました」「世界のメディアに向かって話す前には、大きな不安の波に襲われます」「自分を守るためにも記者会見を回避した方がよいと思いました」と述べています。
同時に全仏を棄権することも発表。「トーナメントにとっても、他の選手や私の健康のためにも私が大会を棄権することが最善の策だと思っています」として。
●この一連の経過には、もちろん賛否両論あると思いますが、私の主な感想は三つ。
一つは、大坂なおみ選手が、これまでのスポーツ選手の規範を超えたこと。拍手を送りたくなりました。
これまで競技者は精神的に強くあるべきという大前提があり、精神的な「弱さ」を告白することなど容易にはできなかったと思います。また偉大な選手は美しいスピーチを発信するのが当然と思われていたかもしれません。そこを彼女は「軽々と」ではないけれど苦しみながら、超えたと思いました。
周囲を大きく傷つけるとか犯罪に及ぶようなことでなければ、「タブー」はないことを、身をもって示したと思います。
肉体的なケアと同様、精神面も十分に考慮されなければいけないこと、4大大会の規範が絶対ではないことを、世に気づかせたと思います。
だからこそ、多くの競技者が、彼女に共感の思いを寄せているのだと思います。
●また一つには、4大大会の尊大さです。私は会見拒否に多額の罰金が科されることに、驚きました。
そして、それが失格や出場停止に繋がるという事も重大過ぎると思いました。誰もが夢に見る、容易には届かない大会だから、何を科しても人はついてくるとする尊大さを感じました。
これはオリンピックにも通じます。各国がオリンピック誘致のためなら何でも呑むという態度で臨んできたから、IOCは自らに圧倒的に有利な開催都市契約を結び、IOC役員たちは、今も日本の国民の命と人権を軽視する発言を繰り返しています。(IOCの酷さを語る場面ではないので、ここで多く語ることはしませんが)
●第三に、スポーツの危うさです。
コロナ禍の下で強行が狙われ、オリンピックにはスポーツの意義とは別の要素(利権・商業主義・政治的利用など)が大きく巣食っている事が、多くの人の目に晒されました。
一方で大坂なおみが示したことは、大切にされるべきは大会の権威ではなく人間、という事です。
この二つは、スポーツの美談の裏で増幅してきた組織の問題点を映し出していると思います。
権威と伝統、そこにスポーツの美談が加われば、問題点から人々の目を反らさせることや口封じに繋がることは容易に起きたであろうと思われます。
スポーツは人々に感動と勇気を与えるし、人間の能力の究極の発露でもあると思います。その影響力は絶大です。でもその美しさが誘引力として働けば働くほど、利権や人権無視が生じるという事を、今実感しています。(2021.6.6)