●普段から参加できないことも多いのですが、この間は、コロナによる延期も加わって、久しぶりの市民劇場でした。
やはり席は間隔をあけて、2分の1の入場で実施しています。単純計算すると会場は倍用意しなければ、会員の席を確保できないことになりますが、日程表によると、その形跡は見られません。しかも、たま・あさお市民劇場との合同という事ですから、会員数が半分以下に減ったという事になるのでしょうか。
コロナの影響おそるべし。(確かな情報は確認できていませんが、深刻な事態も考えられます)
●今例会は、劇団銅鑼の「センポ・スギハラ」。このテーマの歴史的事実に惹かれます。
センポ・スギハラこと杉原千畝は、第二次世界大戦時、リトアニアの日本領事代理。各国の領事館は、ソ連の勧告により、すでに閉鎖しており、残っていたのは閉鎖がやや遅れた日本領事館のみ。
その頃ポーランドには350万人のユダヤ人が住んでいましたが、ナチスの手から逃れるために、通過ビザを求めてリトアニアの日本領事館に殺到します。
杉原千畝は、ユダヤ人の命を救うために、日本政府の命令に反してビザを発給し続けます。その数は約6000。そのビザで、ソ連と日本を通過し、各国で生き延びた人たちの子孫は今、4万人を超えるといいます。
●今回の舞台は、大げさな演技が少なく、主人公の描き方も力まず、気さくでヒューマンな人物像が自然に描かれていたのがよかったです。
今回新たな感動を覚えたのは、領事館がいよいよ閉鎖となり、時間切れでビザをつくりきれない人達が残されますが、その人たちの姿です。
もちろん悲痛な叫び声も上がったでしょうが、それだけではなく、「センポ・スギハラ」の名を呼びながら讃える声が鳴り響いたと描かれていました。私は、この舞台の解釈によるだけではなく、実際に感謝と敬意の気持ちは、残されたユダの人々にもあっただろうと思います。
この勇気に溢れた人間的な行為は、救えなかった人達にも伝わったに違いないと思うからです。
●この時代的制約(政府に逆らうなど多くの人にとって困難な時代に)の中で、命令に従わなかった杉原千畝が、日本に帰ってどのような扱いを受けたかが気がかりでした。資料によると、帰国直後に免職となり、1986年に86歳の生涯を終えています。死後、2000年には、外務省により名誉回復が図られました。
彼が、帰国後どんな思いを抱きながら暮らし、生涯を終えたのかは、また別の機会に辿りたいと思います。
リトアニア第二の都市カウナスには、杉原記念館があり、当時の執務室が再現されています。 (2020.10.8)