●昨年の10月12日、多摩川は台風19号による豪雨で、あと1メートルで堤防を超えるという高さにまで増水しました。
河川敷は、約10メートル高の水に埋まりました。2日後に訪れた多摩川は、河川敷の水こそ引いていましたが、樹木はなぎ倒され、野球場は跡かたも無くなっていました。
その後も、復旧は後回しとなり、3月まで使用停止となっています。
15日には、はたの君枝衆院議員、渡辺学市議、おおば裕子市議、市古次郎市議、新日本スポーツ連盟の方々と河川敷と堤防の状況を調べました。
●最初に古市場小近くの古市場陸上競技場。ここは、新日本スポーツ連盟の月例マラソンのスタートとゴールの会場にもなっています。
月例マラソンは、子ども達が小学生の頃、学童保育の仲間とともに家族で参加していました。それがきっかけともなり、三人の子どもたちは、中学校の駅伝の選手に揃って選ばれたり、走る楽しさも知りました。
そんな懐かしい場所ですが、泥をかぶり堆積した土砂の上に草が生えていました。どなたかが、排水溝の上だけ土砂を取り除いていて、その側面から20~30センチほど堆積している事がわかります。
●上平間サッカー場や野球場を経ながら、宮内まで。
宮内の野球場は、一部、自力で整備(下の写真)を始めていました。待っていられないということでしょうが、資材等に費用がかかっているとのことです。
生活や営業の復旧が喫緊の課題であることは言うまでもありません。でもあれから4カ月、スポーツ含めた文化はやはり人間の暮らしに欠かせません。せめて明確な見通しが持てないものか、行政の手がどうしても回らないのなら、ボランティアや利用者とも連携した力が発揮できないものか、などと考えてしまいました。もう少し検討が必要ですが。
●広大な河川敷は、スポーツの練習や試合に欠かせません。
1970年代に、市民やスポーツ団体の要望を受け、日本共産党も連携しながら、その整備を進めてきました。それらの積み重ねの上に、河川敷や堤防上の土手は、多くの市民に愛される場所となってきました。
散歩やランニングの折にも、多摩川によって確保されている広い空間が、夕焼けや朝焼けの美しさを一層浮かび上がらせていると思います。
中原区はもちろん県内のあちこちで思い知らされる水の怖さ、一方で安らぎやエネルギーを得る場として付き合ってきた川。生きる糧をもたらす川でもありました。人間の歴史まで思い浮かべてしまいます。
一日も早く、使えるように取り組みを進めたいと思います。(2020.2.15)