君嶋ちか子

きみしま 千佳子
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神奈川県議会議員
未分類 活動日誌

優が逝って三年 |君嶋ちか子|神奈川県会議員

2019年12月16日

●優が逝って、12月9日で三年。やっぱり現実なのかと不思議な気持ちになります。あの大きな笑い声や、大げさな口ぶりを聴きたくてたまりません。あの子がいたら、どんなにこの場が笑いに溢れていただろうかと色んな場面で思います。三年間、同じような思いが何度も繰り返されます。

●9日に先立つ7日、「優を語るつどい」を行いました。私も夫も「偲ぶ」という言葉を使いたくなくて…。

宗教的には三回忌というのは昨年に当たるので、O家とともに済ませていました。今年はどうするのがふさわしいのだろうかと夫とあれこれ話した結果、宗教抜きで君嶋側の身近な親戚だけの集まりにしました。

これには訳があります。優の夫だったJが再出発をしているからです。

●Jの再出発は本当にうれしかったです。私は大きく救われました。

それまでは、毎日毎日自分の悲しみとともに、Jの生活や気持ちを思い、辛くてたまりませんでした。

離れて生活していた私たちとも違って、家での暮らし全てが優に繋がり、大きくあいた穴をどのように埋められるのか、毎日どんな気持ちと時間を過ごしているのか、といたたまれない気持ちでした。「Jさんの人生を大きく狂わせわせてしまった」という申し訳なさでいっぱいでした。だからホッとしました。

「優独りになっちゃったね」という思いもチラッと浮かんだりしますが、それはそれ。

●この日は、口々に優のことが語られました。亡くなるまで接点がそれほどなかった優のいとこのお相手達や、まだ小さかった優の姪っ子たちも優の記憶をたどりながら、語ってくれるのが申し訳なくも嬉しいことでした。

私には、優が皆さんの記憶に残ることだけでも嬉しいのですが、他の人達が語る優の姿に、優の力を感じることができます。「アーそんなに頑張っていたんだ」とか「そんな優しさを示していたんだ」とか、「偉い子だったなー」と思ったりします。

「私もそうあらねば」と思います。でもこれは多少、辛くもあるのです。「親の姿を偲びながら学ぶ、引き継ぎたいと思う」というのはいいけれど、「その逆はサマにならないよ」と思ったりするわけです。「子を偲ぶ」というのはどう見ても不条理だと思うのです。

●原発に反対の声を上げ続けた国会前「希望のエリア」でご一緒していた Y・N さんが、 DVDを作成してくださいました。

小さい頃の優が私や夫に抱かれている場面や、兄たちと駆け出している懐かしい写真とともに、優が「希望のエリア」でコールをリードしている姿も。あの大きな声を久しぶりに聞きました。あの声をもう聴けないなんて嘘のよう。

Yさん本当にありがとう。優に思いを寄せていただいて。優の死を通じて、人の優しさが身に沁みます。

また夫も、優への思いを込めて残された動画を編集して映し出しました。テーブルには、優の写真や、これも夫がプリントアウトした優のフェイス・ブックのファイルを並べました。私がかつて描いた優の姿のスケッチも(大きいので実物ではなく写真ですが)。

●優、たくさんの人達の愛情を受けながら、精いっぱい生きていたね。翌日お参りに来てくれた友香たちは、「優は人の100 倍生きたよね」と言ってくれたけれど。

もっともっと生きている時に褒めたかったよ。三年経っても、優にもっと寄り添いたかったと悔いるばかり。(2019.12.7)

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