●公害三団体(*)共催の「新春のつどい」に参加しました。公害の取り組みはある程度知っていたものの、昨年の「つどい」に参加して、この団体の実力に驚いたものです。
公害裁判終結後20年の今も、○1公害被害者の完全救済 ○2公害の根絶 ○3環境再生とまちづくり を掲げて闘い、成果を上げ続けています。
○1の救済では、国による「新たな大気汚染公害被害者救済制度」(喘息等の患者の医療費無料制度)をめざし、今年は自動車メーカー7社と国を相手に「公害調停」をおこないます。
●○3のまちづくりでは、今までにも目覚ましい成果を上げています。
国道1号線の車線削減と歩道の拡幅を実現させています。これを知った時は「車線を減らす」ということに「目から鱗」の感がありました。これにより台数制限にも繋がり、歩道を広げることによって車いす含め安全な歩行が可能になります。
国道15号線も中央分離帯の幅を縮小し、歩道を充実させています。
駅前広場は、それまでバス乗り場は地下をくぐらなければいけなかったのですが、地上での平面移動を可能とするように作り替えました。
更に北口開設までやってのけました(この北口は30年程前までありました。閉鎖に反対の取り組みも行いましたが、閉じられてしまった忌々しい記憶があります)。
これらの取り組みでは、市の環境局・健康福祉局などと検討会をかさねてきています。まさに「ひとに優しい町づくり」の先取りだったのではないでしょうか。
●この日は、今までの取り組みを駆け足で学びましたが、1966(S41)年撮影の臨海部の噴煙を上げる写真を見ると、無念の思いに駆られます。
製造過程の重大な弊害お構いなしに、生産活動に明け暮れた日本。その過程で失われた命、喘息で苦しみが続く人々。
救済制度の充実に助けられたとしても、体は元通りにはならず、命は帰って来ません。国やメーカーに人間を大事にする視点があれば、野放図に公害をまき散らす行為を続けさせることもなかっただろうに、と本当に悔しい思いです。
アスベストも然り、原発も然り、本来的には人間の幸せのための生産活動だったはずが…いや既に人間の幸せは視野になく、儲けしか念頭に無かったか。
●私は挨拶の中で、公害裁判初めとした公害との闘いが、川崎の歴史に大きな役割を果たしていること、和解後の目覚ましい取り組みが、まちづくりを初め、今に大きく活きていることに触れました。この闘いに大きな敬意を表しながら。
和解後の取り組みを含め、全国の公害との闘いの中でも屈指ではないでしょうか。
県立川崎図書館に公害裁判の全記録が所蔵されていることも思い浮かびました。
毎年行われている「環境・まちづくりフェスタ」も「公害フェスタ」として馴染んできましたが、今は多くの市民団体が参加し、進化しているんだなーとこれも思い起こしながら。(2019.2.9)
*公害三団体(川崎公害病患者と家族の会・川崎公害裁判弁護団・川崎公害根絶市民連絡会)