●活動日誌が遅れに遅れています。10月以降、決算委員会・本会議・常任委員会・特別委員会のそれぞれの質問準備に追われ、終わってからは、県政報告会や各種原稿が続き、といった具合で遅れています。
飛ばせばいいようなものですが、それができなく記しておきたい気持ちになるものですから…いつも遅ればせながら。
●12月8日というのは、毎年「赤紙配り」など不戦の取り組みがありましたが、それに加え数年前からオール川崎集会を行なっています。各政党も参加し、野党と市民が共闘する貴重な場でした。
今年は初めて不参加となりました。優(娘)の三回忌を行ったためです。
2年前のオール川崎集会の翌日、12月9日に優は突然亡くなりました。8日と9日が何故かセットで記憶に残ってしまいました。オール川崎集会といえば、翌日の恐ろしい日が連想されます。
●この日もとても良いお天気で、青空が広がりました。納骨の日も真っ青な空だったことを覚えています。
優の夫だったJさんの実家の裏にお墓があります。ここにJさんのお母さん(優の2か月後に亡くなりました)やおじいちゃん・おばあちゃんとともに眠っています。
●Jさんの親戚と我が家の親戚が集い、口々に優への思い、自らの現在などを語りました。
皆さんの言葉が心にしみました。本当に良き人達に囲まれていたと思います。そして優も思いきり生き、良き人生だったと思います。それが32年間で終わってしまったことを除けば。
2年間、何をしていても優のことが浮かんできました。多分これからもそうだと思います。優に関わる思い、書き始めればきりがありません。
●優の分骨は、まだ我が家に。慌ててお墓を用意したのですが、この冷たい場所に優を一人でと思うと、とても入れられずに日が過ぎました。多分私か夫と一緒に入る日まで、家にいることになるでしょう。
本当に優しくて、色んな場で精いっぱい羽ばたいた誇らしい娘でした。
この日家には、優の友人や私の知人からお花が届いていました。
皆さん、ありがとうございます。(2018.12.8)