●今年も川崎市から戦没者追悼式の案内を頂きました。
戦後73年を経て、遺族の方は高齢となり、昨年よりさらに出席される方は減ったように思います。73年間無念の思いを抱え年を重ねられたのだろうと思います。
避けられない病や自然災害ではなく、人為的に生み出される死の最たるものが戦争ですから、無念過ぎます。ですから、新たな遺族を生み出さない決意の場でもあると思いながら参加しています。
●73年前の日本の戦争において、前線で命を失った人たちに「お国のために」とか「愛するものを守るために」等の言葉が使われるたびに、私は抵抗を覚えています。
日本の侵略から始まり、無謀に戦域を拡大していったあの戦争で、お国のためにという言葉が許されるのだろうかと思います。
●安倍政権の下で、教科書を変える動きも強まり、戦争の歴史がますます歪められています。
でも、戦没者や戦災死者を悼むのなら、再びその愚行を繰り返さないという決意の下に、なぜその死が生み出されたのかを、学ばなければなりません。
その意味では、あの大戦による死を美化している限り、真の追悼はできないと思います。
●冷戦構造が崩壊して時が流れても、朝鮮半島めぐる非核化と平和協定に向かう新しい流れが動き出しても、ひたすら日本の再軍備をもくろむ安倍政権にやはり思いは帰結します。
教育基本法を変え、教育内容を歪め、国民投票法をつくり、今、憲法変えることに命を懸ける安倍政権を許すならば、戦火に散ることを強制された人たちや遺族の無念の思いを晴らすことはできません。(2018.10.19)