●中原空襲展が今年も行われています。地元の中原市民館において、平和への思い熱き人たちの手作りで。
「川崎中原の空襲・戦災を記録する会」がこの営みを続けています。
会は、2009年に中原市民館の自主企画事業としてスタート。100人以上の体験者からの聞き取りを行い、独自調査も加え冊子「川崎中原の空襲の記録」を発行しました。2011年からは毎年「中原空襲展」を開催しています。
●見せていただく度に新しい発見があります。
今、超高層マンションが林立する武蔵小杉駅周辺、そして今井・苅宿・木月等の地域は、軍需工場も多く、当時空襲の標的ともなり赤い炎に包まれました。
当時はまだ人口が今のようには密集していなかったでしょうから、東京大空襲のような大きな被害者数には及んでいません。でも、私の住んでいる家の上空を戦闘機が飛び交う情景を想像すると、戦争の恐怖を実感します。
●「戦時下、子どもたちのくらし」という展示がありました。右下に子どもたちがひれ伏す写真があります。校庭での防空演習の様子ですが、説明文には「物陰に入るか、地面に伏せて手で、目・耳・鼻を抑え」と教えられましたが、実際に襲いかかった焼夷弾や機銃掃射に対しては、無意味な訓練だったと記されてます。
これを見てすぐに連想したのは、Jアラート訓練。この行為指示は、今伝えられる指示と酷似しています。
写真といい行為の指示といい、この時代と同じことを再び国民に強いようとしている政府の時代錯誤と醜悪さ。
70年以上前でさえ通用しなかった訓練、それを今、ミサイルに対して行わせようとする政府、それに乗っかる神奈川県含む各自治体。1月31日のJアラート訓練などに対して改めて怒りを覚えました。
●当時の攻撃に対して、これらの訓練が何ら役に立たなかったことは政府も承知しているだろうと思います。それでも同様のことしか、訓練の名を借りた「宣伝」で示せないのは、ミサイルに対して有効な身を守る方法などないことを証明しています。
まさに使用させてしまえば、有効な防御など成り立ちません。使わせないための努力こそが、身を守る方法であることを教えています。(2018.2.3)