- 沖縄3日目の8日は、最初にひめゆり平和祈念資料館を訪れました。
1945年3月、沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校から、生徒222名と教師18名が沖縄陸軍病院に配属されました。240名の顔が壁に並んでいます。一人一人の写真に胸打たれます
多くの人は、軍部の言葉を疑うこともなく動員されていったのだろうと思います。あどけない顔、まじめそうな顔…227名が死亡しました。
リーフレットには、「積極的に戦争に向かわせたあの時代の教育の恐ろしさを忘れていません」と記されています。
- 続いて糸数アブチラガマへ。南風原陸軍病院の分室でした。真っ暗で、下はごつごつした岩場。
地上との通路は、屈んでも頭をぶつけるほど低く狭く急傾斜です。しかも水がしたたり落ち、濡れて滑ります。ひめゆりの生徒たちが、切断された腕や足、兵隊の尿や便を何度も運んだと聞いて打ちのめされます。滑って転び、担ぐ桶の中身を浴びることも度々あったそうです。この通路をどうやって…と私は信じがたい思いでした。
この壕には井戸・かまど・トイレ・兵器庫・手術室・病室・遺体安置所などがありました。麻酔薬なしの鋸による切断、悲鳴を上げながら暴れる兵士の体をひめゆりの生徒たちが押さえつけたそうです。
この暗い壕の地獄のような日々の中でも、ひめゆりの生徒たちは優しかったとの文章を度々目にしました。
ガマの出口。中の撮影は禁止されていました。
- この後、瀬長亀次郎と沖縄の民衆の闘いを伝える「不屈館」に行ったのですが、私達は沖縄県議団との懇談のために、途中で県庁へ。瀬長さんへの熱い思いを残しながら!
- 県議団6人が会議中のところをお邪魔しました。沖縄の闘いに圧倒されました。
元自民党員である知事を共産党が与党として支える、かつてない闘いであると渡久地修団長、まさにオール沖縄の象徴ともいうべき闘いです。
住民の闘いこそ歴史を変えると、県議7期目の嘉陽宗儀さん。翁長知事は県民の声を受け止める力を持ち得てきた、とも。歴史の重みを感じさせます。
基地問題だけではありません。「沖縄は、入学時30万・月々7万の給付制奨学金を実現させた」と語る西銘純恵さん。いくつかの条件はありますが、全国初となります。就学援助についても県が拡充しています。
「沖縄の闘いが全国に広がった時に、勝利を勝ち取れる」とこれは皆さんの口から。
沖縄が全国を励ましています!
(2016.11.8)