7日は高江に向かいました。
●北部訓練場には22のヘリパッドがありました。再編により7か所の返還と新たな6か所の建設が予定され、既に2か所は建設されています。
現在でも毎日、時には深夜まで、爆音・低周波・振動にさらされています。さらに4か所造られるならば「もうここで暮らすことはできない」と住民は、暮らし破壊・やんばるの森破壊に反対し、2007年から座り込みが続いています。
参議院選挙直後の7月11日、沖縄防衛局は工事再開を強行しました。22日には全国から500人の機動隊を動員し、総勢800人で、座り込みの住民排除に当たっています。連日、道路は工事車両と警備車両で埋まっています。
●私達のバスもゲートが近づくにつれ、止められることが多くなり、完全にブロックされている車も多くありました。
座り込みの現場につくと機動隊があっと言う間に取り囲み、壁のように並びます。
私達はマイクで、反対する住民への激励と連帯の言葉を送りつつ、鼻先に並び立つ機動隊員に「自分たちが何をやっているのか考えてほしい」「普通に暮らしたいという住民の当たり前の願いを踏みにじるな」等々訴えました。
私は「支援」という言葉がそう簡単なものではないことを感じました。私達を見送る住民の眼に「いつもこの人たちは短時間でこの場を立ち去り、運動を担う訳ではない・・」というかすかな雰囲気を感じてしまったのです。
この感覚を覚えたのは、機動隊の壁に阻まれ、その場で住民と声を交わすことができなかったことも一つの要因です。
かといって、あの場で機動隊の壁を乗り越える行動は、初めてこの場を訪れた私たちがやるべき事ではありませんでした。
●難しい課題を感じつつ、この日の交流会で確信を得ることもできました。私達の交流会に沖縄県会議員が加わりました。
その一人比嘉瑞樹さんに、「戦中から今に至るまでの日本政府の仕打ちに対し、沖縄独立論などもある。沖縄県民は日本をどう受け止めているのか」と問いました。
比嘉さんは「確かにそのような思いも県民にはあります。私もその感覚はわかります。でも先輩たちの『本土復帰を熱烈に願ったのは、日本国憲法の下に帰ろうという思いだった』との言葉に確信を得ました」と。私は胸が熱くなりました。
もう一人、瀬長美智雄さんには「急速に暴力的になった高江に対する政府の攻撃、反対する人たちに焦りはないか」と問いました。「沖縄を変えていくのは日本を変えていく闘い。神奈川を含めた各地で闘いを進めてください。焦りはありません」と穏やかに答えが返ってきました。
沖縄の鍛え抜かれた闘いを、またかいまみる思いでした。(2016.11.7)