●NHK朝の連続ドラマで話題になった三淵嘉子さんゆかりの地、甘柑荘(かんかんそう)を訪ねました。WWFK(働く女性のフロアかながわ)の仲間と一緒でした。
箱根登山鉄道の板橋駅から歩いて5分。こんもりとした小さな山の入り口のような場所に建っていました。
●この家は、嘉子さんの再婚相手三淵乾太郎氏の父、忠彦氏が別荘として造り晩年を過ごした場所。簡素で趣のある素敵なお住まいでした。
玄関のたたきには杉丸太の割板が埋め込まれているなど、こだわりが感じられる建物で茶室もあります。縁側から解放された庭は広い芝生が広がり、のんびりと身を置きたくなるような場所でした。この時は梅が開いていましたが、蜜柑・夏みかん・檸檬・金柑などが植えられています。
仕事柄転勤が多い二人が、単身赴任を余儀なくされながら、ここに集うのが家族にとっては、貴重な機会だったということです。
●忠彦氏については、ここを訪れるまで知りませんでしたが、1947年最高裁判所設立時の初代長官でした。戦前「法律民衆化の講演会」なるものを開催していたといいますし、「最高裁判所が正義と平等の府として、国民の信頼を得るために尽力」との説明に、「あーこういう人もいたのね」とうれしい気持ちに。
乾太郎氏も、連ドラ「虎に翼」で初めて知ったのですが、「無謀な戦争を止められなかった」と慟哭する、ヒューマンかつ合理的思考が可能な人物として描かれていました。嘉子さん含め頼もしい法律家たちです。
●この素敵な一家も嘉子さんも、私は連ドラで初めて知ることになりましたが、不思議なのは、日本初の女性弁護士・裁判官・裁判所長という先駆的役割を担いながら、これまで語られていなかったことです。
同行の仲間は、女性問題や人権問題に通じた人たちですが、やはり、ドラマが始まるまで知らなかったといいます。
「女性初」が連なるだけではなく、人権や男女平等に心を砕き、弱者に常に寄り添った人生だったと思います。
邸内に掲げられていた写真にも「私の人間としての本当の出発は、敗戦に始まります。男女平等の宣言を聞き、風船が天に登るような開放感を感じました」と記されていました。
切り拓いてきた道は楽ではなかったと思いますが、表情はとても柔らかくにこやかなのもうれしいことでした。
このような先輩がいたことに、大いに励まされます。(2025.3.2)