杉本さんが亡くなったことを知らされたのは、音楽パートナーの泉恵子さんのメッセージ。5月24日、自宅で大動脈乖離により突然亡くなられたとのこと。
エーッ!66歳、早すぎる、あの闊達な杉本さんが・・・と本当に驚き残念でした。
●杉本さんを知ったのは、県議になって「神奈フィル争議」に関わってから。楽団私物化の一部理事に対して異議を唱え、神奈川県公務一般労働組合神奈フィル分会を杉本さんたちは立ち上げました。
2012年4月12日、神奈フィルは突然二人に解雇通知を出しました。「演奏技術が低い」などとする解雇理由が不当なものであったことは、この後の裁判経過、労働委員会審判経過により明らかになります。
私は代表質問で、知事が理事に名を連ね、県民局長が評議員に就き、県の交付金も受けている神奈フィルが、組合差別をやめ不当な解雇を撤回するよう知事からも働きかけることを求めました。
2015年11月26日、横浜地裁の解雇撤回を言い渡した判決の嬉しさは今も覚えています。駆け付けた大山議員と私は勝利の垂れ幕とともにお二人と記念撮影をしました。
●組合差別について、不当労働行為の認定は神奈川県労働委員会においてなされていましたが、神奈フィルはそれを不服として中央労働委員会に申し立てを行っていました。
2016年4月8日中央労働委員会においても、杉本正さんと布施木憲次さんの不当解雇事件は、勝利和解が成立しました。①楽団は不当労働行為と紛争の長期化について遺憾の意を表明する ②楽団は解雇を撤回する ③楽団は解決金を支払う ④解雇撤回後合意退職する ⑤楽団は不当労働行為を行ったことに関し遺憾の意をHP上に公開する の5点が確認されました。同時に正常な神奈川フィルの運営に道筋をつけたこと、二人の音楽家としての対外的な名誉を回復したものとして、画期的な勝利和解と言えるものでした。
楽団で演奏するお二人の姿を観たかったのですが、「今後の音楽人生を鑑みてこれ以上の長期化を避けることを優先した」ということでした。
杉本さんもこの時「職場復帰できなかったことはとても残念です。(中略)県公務公共一般の役員として、神奈川フィルの運営の健全化、楽員の待遇の改善に向けた運動の先頭に立っていきたいと思います」と語っていました。
デュオオブリガートは、杉本さんのコントラバスと泉さんのヴィオラの二重奏団として2011年にスタートしました。この二つの楽器の組み合わせはとても珍しいそうです。
2018年には私のつどいでも演奏して頂きました。その時の印象、お二人の演奏で会場の空気が変わったことを覚えています。格調が全く違ってくることを実感しました。
●2022年にもひょんなことからお世話になりました。県議会議員3期目をめざすパンフ作成の際、労働問題の対談に同行していただき、それを文章化して頂いたのです。音楽家にこんなことお願いしていいのかしらと思いましたが、これはある方の推薦でした。「杉本さんはそういうことできる人だから」と。杉本さんの多才に感心したものでした。
●そして追悼コンサート、杉本さんに手を合わせるような気持で、泉さんのヴィオラとピアノの演奏に聴き入りました。シューマンの「おとぎの絵本」、流麗な調べに魅せられました。ベートーヴェンの「悲愴」も胸に迫るものがありました。
舞台脇に飾られた演奏している時の杉本さんの写真に涙したり、泉さんのお話に胸を突かれたり。
「友の会」の方の挨拶からも、お二人が地域にも根を張って活動していたこともわかりました。
杉本さんの豊かな発想、奔放な語り口、人間に対する温かいまなざし…まだまだやりたいことがいっぱいあったんだろうな、人は突然去っていくんだなあと、思いは様々交錯するのでした。(2024.12.13)