●映画「ゆめパのじかん」を観た。
高津区にある「子ども夢パーク」、衆議院選挙18区候補者として、何度もそこは通りかかった。地元の仲間は「高津区が最も自慢できる場所ね」という。是非訪問させていただきたいと思っていたところ。
●映画ではそこにつどう親子や、泥んこで遊ぶ子供の姿、興味があることに心行くまで浸る情景も映し出されるが、何といっても印象的なのは、中心的に映し出される人たちの表情や言葉。
リクト君(8歳):虫を観察しながらさりげなく「最初は勉強しようと思っていたけど、バンバンやらされても、逆に覚えないと思うんだよね。だって1年間で割り算と掛け算なんて無理な気がする」。私には、この年齢で状況を客観的にとらえる言葉がとても印象的だった。
ミドリ君(11歳):「勉強って嫌いじゃなくて、学校の暇な、ノートに写すだけの勉強が嫌いだったって感じで」。対象に関心を寄せる眼差しがとても意欲的だと思った。
木工ボランティアとして通っている福嶺衆宝さん、「とにかく感性豊かな子ばっかりだなって。感性が強すぎるからこんな状態に陥っているんじゃないかな」(「陥って」の言葉は違うんじゃないかと私は思いましたが)「どんどん子供たちが変化していっている、すごくなってるのを何度も見ているし、やっぱり場所があるって大事だよなと思う」
●そう、これからの人生で困難に突き当たっても、この場所での経験があれば生きていけるだろうなと思いながら私も観ていた。
「居場所がある」これが第一。そしてそこでは時間に縛られずに自分のやりたいことができる、何もしないことも許される、これが第二。ついで見守る大人や仲間もいる。この三つがあれば人間は生きていける。
(私はつい学校生活と引き比べてしまう。学校生活で顕著に違うのは二番目、これで大勢の集団がなりたつか、別の議論も必要になるけれどできるだけここに近づけることはできる。この居心地がいい場所は、本当はもっと多くの子が経験していいだろうと思うけれど、この話は少し置く)
●2003年の開設。私は阿部市政の下でこんな施設がよくできたものだと驚きを覚えた。
1989年、国連は「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」を採択、1994年日本も批准。それを受けて「川崎市子どもの権利に関する条例」が2000年に制定された。この条例をもとに「子ども夢パーク」は作られた。
権利条約の策定から関わり、15年間所長を務めた西野博之さんは「この30年間で救えなかった命がある。その数は片手では足りない。本当に悔しい」「あなたがいてくれて幸せだよ、を子どもたちに届けたい」「子どもは幸せになるために生まれてきた」「ゆったりした時間の中で、子どもたちは試行錯誤を繰り返しながら自ら成長していく」と語る。
条例が力になることを実感。そしてこんな素敵な場所をもっと作りたいと思い、さらに「西加瀬プロジェクト」ではなくあの場所にも「夢パーク」をつくりたいと、映画を観ながら思いはどんどん膨らんでいった。(2024.11.4)