●5月は毎年必ず参加する行動が続きます。
5月1日はメーデー。
メーデーは昨年から場所を変え、中原平和公園で行っています。平和公園の入り口に立ち、共産党川崎市議団とともに参加者と通行中の方にご挨拶。
メーデーの舞台では、労働組合や市民団体が切実な要求や取り組みを報告。いずれにも強く共感。初めて聞く事もあり、改めてともに闘う決意を確認しました。
でも、でも・・・雨は激しくなるばかり。しかも寒い、雨水は冷たく滲みてくる。こんなメーデー、何十年も参加してきましたが初めてです。いつも5月の空は青く、暑いほどの陽射しの下で挨拶していたのに。
●3日の憲法記念日、午前は、川崎の取り組みとして例年川崎駅アゼリア入り口で、平和と民主主義を守る川崎連絡会として憲法宣伝を行っています。
はたの君枝前衆院議員と片柳進前川崎市議、市内の団体とともに参加しました。私はあえて今年は9条ではなく、国民主権について訴えました。企業団体献金に主権を奪われて久しいから。自民党の企業優先が国民の主権を奪うこと甚だしいから。
●その後、私は有明の中央集会に参加したい気持ちもありながら、毎年神奈川県集会へ。
講演の一つは、志田陽子武蔵野美術大学教授による「平和の危機と表現の自由~人権保障こそが安全保障」。私はこのテーマにやや戸惑い。前半の問題意識はそれなりに理解できるし、後半も一定の肉付けをすれば、それなりの説得力はある、でもこの二つがどのようにつながるのか…
講演時にはそれぞれの連関はつかみ取れず、でもレジメを読み返すとインパクトのある大事な言葉は随所に。
●「平和の危機と表現の自由」に関わっては――――
*自国の安全保障法制や憲法をどうしていくべきかは、海外の有事に煽られる形ではなく、冷静に議論を重ねなければならない問題。
*憂慮されるのは、私たちが正義感に駆られて、あるいは経済制裁の効き目が完全ではないことに苛立って、「目には目を」の発想に魅力を感じてしまうこと。
*私たちが学ぶべきことは、「強大な武器を持たないとウクライナと同じことになる」という焦燥感より、「民主主義・立憲主義・国際ルールを死なせてしまったら、このような暴走がもっと簡単に起こる」という恐れだろう。
*「あの時はこんな事件が起きた、しかしこれを許して受け入れるもの費無かった」、と言える歴史を、今、作っておく責任が、私たち同時代人にあるのではないか。
●「人権保障こそが安全保障」に関わっては――――
*国家が「存立危機事態」に陥った時に、まず考えるべきは、国民・住民の生命の保護のために国民・住民の退避の道を確保すること。
*軍事に莫大なお金をかける一方で、他国の戦争被害者を難民として受け入れることには無関心ということであれば(中略)憲法前文の「平和のうちに生存する権利」が見ているのとは逆方向。
*世界中から「この国を失うことは世界にとって損失だ」と思ってもらえる国にならなくてはならない。
*国民・住民のための安全保障を考えるなら、外国人を含めすべての人間に保障されるべき「人権」を保障することから始めなくてはならない。
●二つ目の講演は、海渡双葉弁護士の「セキュリティクリアランス広がる秘密保護の網」これはとんでもない内容がてんこ盛り。ボリュームの点から次の機会に。
●講演後は会場の県立青少年センターから戸部郵便局、野毛坂を通り、桜木町駅広場までデモ行進。この日は抜けるような青空が広がりました。(2024.5.1/5.3)