●2月1日、志位さんの衆議院代表質問を傍聴しました。
能登地震・裏金・くらし・外交が中心です。詳しいやり取りはボリュームの点でここでは報告できませんが、傍聴者としての感想をお伝えします。
●最初に驚いたのは、裏金問題で「民主政治の健全な発達を妨害する組織的犯罪行為という認識と反省はあるか」と質したときに、自民党席から大きなヤジが飛び交ったことです。
私は思わず「なにこれ?この人たちヤジを飛ばせる立場と思っているのか」とつぶやきました。
このヤジは「犯罪行為」と思っていないことを示しますが、それだけではなく国民がどう思っているかを理解していないことを露呈したと思います。この後者に私は非常に驚きました。「(仮に犯罪行為と思っていなくても)自分たちには非があるから、非難されるのはやむを得ない」という感覚があるものと思っていた私が間抜けでした。
国民の声に私は多く接していますが、「自民党にはホトホト呆れた」という声に集約されます。国民の怒りはもはや「恨み」です。
かつて史上最悪といわれた安倍政権時よりも、この恨みは大きくなっていると思います。この国民の思いと自民党のヤジが示す現状は、あまりにもかけはなれています。
●続いて驚いたのは、万博について「復興に具体的な被害が生じるとの情報には接していない」と言い放った首相答弁。当局ルートでこの指摘がないという意味かもしれませんが、この問題でマスコミ含めた「万博より災害支援を」という声や「万博準備により資材や労働力の枯渇を生じる」との指摘を聞いていないというのでは、あまりに不見識だと思います。
●驚きはしないけれど怒りを覚えたものは、たくさんあります!
「原発の安全確保に影響する問題は生じていない」という首相答弁もその一つ。この問題でも、当局ルートの報告だけではなく、例えば志賀原発に関わる発表や報道を認識しないのであれば、あまりにも無責任です。
企業・団体献金は「不適切とは考えていない」というのも同様。
首相は度々1970年の八幡製鉄事件にかかる最高裁判決を持ち出します。この判決の中では「法人についても政治資金の寄付の自由度が求められる」との記述は確かにあります。でも、この時点で自由度はあるとされたとしても、実情に合わせた規制はあり得ます。実際、その後リクルート事件などの実態に照らして、1994年の細川・河野両氏の「企業団体献金禁止」の取り交わしがされました。これをどう捉えるというのでしょうか。
●質問の中で前進したものは、裏金について「不記載の実態の把握に努める」との答弁。
これについてはしっかり調査してくださいよ。国民が度々求めているのは「なぜ裏金にしたのか」「裏金を何に使ったのか」ですよ。(2024.2.1)