君嶋ちか子

きみしま 千佳子
神奈川18区から政治を変える
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神奈川18区女性・雇用相談室長前神奈川県議会議員
活動日誌

イスラエルはガザ侵攻をやめよ |君嶋ちか子|神奈川18区|前神奈川県議

2024年1月30日

●事務所の近くに「かわさきゆめホール」という会館があります。

そこにはゆめホールシネマ俱楽部があり、月一回映画などが企画されます。21日には「ガザ‐素顔の日常」が上映されました。

●このフィルムは、5年前に撮られており、昨年10月のイスラエル軍の攻撃以前なのに、爆撃や殺戮(さつりく)が日常化していました。

侵攻が続いているとは聞いていましたが、これほど激しいとは。攻撃によるがれきの山。人々はどこでどう暮らしているのか。

その攻撃の合間に、ガザで育つ子どもの笑顔や、海で遊ぶ姿、船乗りをめざす子どもの姿、町でくつろぐ市民の姿などが映し出されます。

これらの場面は、実に美しく、それぞれの地域で生を満喫してほしいと思わせますが、撮影後も続く殺戮、一段と激しさを増した昨年10月以降の攻撃の中で、これらの人々は果たして生きているのだろうかとたまらない気持ちになりました。

美しい場面が人間賛歌に繋がらず、武力によって断ち切られる無残な現実を突き付けられます。「私たちは普通に暮らしたいだけ」、この当たり前の願いが押しつぶされ、白昼殺され続けているのです。

まして昨年10月以降の攻撃の激しさはまさに狂気としか言いようがありません。

この殺戮を止められない世界(自らも含め)に、無力感と罪悪感を感じないではいられません。

●なぜガザ地区がこんな事態に陥っているのか。

ガザ地区は地中海に面した細長い地域(東西約10㎞、南北約40km)で、面積は365平方㎞。東京23区の約6割、ここに約222万人が暮らしています。

イスラエル国は、ユダヤ人により1948年につくられました。イスラエル建国により、パレスナチに居住していたパレスチナ人が追い出されます。この事態に対し、シリア・レバノン・ヨルダン・イラクなどが反発し、第一次中東戦争(1948年~1949年)が引き起こされます。その後も1973年までに4次にわたる中東戦争が起きています。

1993年の「オスロ合意」により、イスラエル軍のガザとヨルダン川西域からの撤退が決まり、1994年、ヨルダン川西岸とガザは「パレスチナ自治区」とされました。「パレスチナ自治政府」として存在し、独立国家ではありません。

ヨルダン川西岸は、イスラエルの入植活動により、ガザは占領政策等によって、パレスチナ居住地域は縮小を余儀なくされています。

オスロ合意後、アラファト議長がパレスチナ自治区を治めていましたが、2004年のアラファト議長の死後、イスラム組織「ハマス」が台頭し、イスラエル軍との対立が続いています。

イスラエルは2007年に、テロ防止などを口実としてガザ地区に壁を建設します。ガザ地区はそれ以来壁に囲まれ、人と物の出入りも制限され、「天井のない監獄」といわれています。長く続く封鎖の中で、失業率は45%。差別と貧困の中で最低限の生活も保障されていません。

そこに襲い掛かる2023年10月の軍事侵攻。電気・水・食料が遮断され、砲火を浴びながら過酷な事態が続いています。

ここまでを辿ると、到底イスラエルに正当性は認められないように思います。ハマスの人質や攻撃が、今回の軍事侵攻の口実になっているとしても、オスロ合意違反は、イスラエルから始まったように思えます。

2000年以上前、ユダヤ王国がローマ帝国によって滅ぼされ、パレスチナを追い出されてからの歴史は、聖地エルサレムをめぐる宗教的な対立も含み、複雑な様相を呈しています。

イギリスやフランスの帝国主義的な介在も経て、経緯は生易しいものではありませんが、それにしても今の過酷な攻撃はあり得ません。病院や救急車に襲い掛かる、南に逃げろと言いながら南部を攻める、皆殺しを狙っているとしか言いようがありません。

●この狂気が今も命を奪っている現実に、感想文を書くこともできず、押し黙ったまま会場を出てしまいました。「ガザ侵攻止めよ」と世界が声をあげなければいけません。

国際司法裁判所は26日にガザでのジェノサイドを防ぐ措置を講じるようイスラエルに求めました。この履行を! (2024.1.21)

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