●地方選挙を共にした5人で、七沢温泉にある福元館を訪ねました。
ここは、小林多喜二が滞在していた宿です。創業1856(安政3)年という老舗旅館。
私は以前訪れたことがありますが、その時は資料に目を通す時間がありませんでした。
今回は懐かしいような感覚を覚えながら、離れに向かいました。多喜二が滞在した離れは、改修されていますが当時の雰囲気を伝えてくれます。「この丹前を羽織りながら、この机で『オルグ』を書いていたのね」などと思いながらしばし座ってみました。
●多喜二を引き受けた古根村フクさんの様子を知ることもできました。明治23(1890)年生まれ、42歳の時に夫憲司とともに多喜二を預かります。ある人から頼まれてということでした。
1931年の2月中旬から約1カ月滞在し、小説「オルグ」をここで完成させたとされています。
●フクさんの長女、古根村初子さんが1975年に「あんなことこんなこと」という本を著し、その中で多喜二に触れています。
「番下駄をからからと音をさせて、丹前をふところ手に、とんびだこのような恰好をして風呂に来られる姿をちょくちょく見かけました。大分過ぎて小説家の小林多喜二という人だときいたのですが(中略)小林先生が拷問で亡くなられた話を聞きました」
多喜二は「折ればよかった」という歌を謳いながらお風呂に入っていたということも書かれています。この曲はブラームス(Op.47-3)だったと別の文献で見ました。
●1931年1月22日に豊多摩刑務所を出て、その後福元館に。厚木女学校の教師から「難儀をしている若い作家をしばらく預かってもらえないか」と憲司とフクは頼まれました。この教師も別の人から頼まれているそうです。刑務所で受けた傷を七沢温泉の湯がいやしたという記述も別の文献にありました。
こんな状況の中で、下駄の音を鳴らしながら、とんびだこのような恰好でお風呂に向かい、歌を謳う、この楽天性を感じさせる行動に私はホッとします。
●今回初めて見たのは、多喜二が大きく口を開けて、笑い声が聞こえてきそうな写真。
その写真が発見されたことを報じる2010年11月5日付の読売新聞のコピーの拡大ですから、あまり鮮明ではありませんが、「快活な人物だった」というコメントも添えられています。
これは嬉しかったですね。この暗い時代にあって不屈の生き方を貫く人はきっと明るい人に違いないという漠然とした思い込みがあったのですが、「やっぱり」と思いながら見入りました。
●楽天性と明るさが、無残な虐待に耐え抜く力だったと思います。
でも、その力を確信する一方で、あの横たわる姿の痛ましさには息を呑みます。単に殺されたのではなく、指はへし折られ、手のひらには穴があけられ、下半身はどす黒くパンパンにはれ上がり、内臓は血だらけだったろうと。権力はここまでやるのです。特高は人間でなくなるのでしょうか。
多くの人が、この殺され方を刻み付けるべきだと思います。この暴虐に人間は屈しないということも。
●「しっかりと保存していただいて」とおかみさんにお礼を言うと、「全国の皆さんと交流ができて、支えられています」と明るく笑ってらっしゃいました。
久しぶりのリュックの感触も楽しみました。(2023.5.22)