●「わが青春尽きるとも-伊藤千代子の生涯」が各地で上映されています。私は10日の川崎会場に。
●伊藤千代子は、1905年長野県諏訪に生まれ、1929年に東京府立松沢病院で人生を終えました。24年の人生。
1928年2月に入党し、3月15日に特高警察に検挙されています。1924年に社会主義思想と出会ったとはいえ、そこから数えてもわずかに4年間。この蓄積と経験で、よくぞ獄中で闘いぬいたと驚嘆します。
●苛烈な拷問に耐え抜く彼女に、権力は精神的な揺さぶりを続け、入党を呼びかけた先輩も同志である夫も獄中で転向したことを、告げます。
夫の変節はとりわけ堪(こた)えたことと思います。彼女は夫の変節を聞いたのちも自らの志は貫きますが、精神に変調をきたし松沢病院に収監。
1928年の検挙後、市ヶ谷刑務所で5カ月、松沢病院で一カ月と数日で、彼女は誰にも看取られることなく息を引き取りました。
●市ヶ谷刑務所では常に皆を励まし続けました。千代子の合図で歌われる「赤旗の歌」、「♪民衆の旗赤旗は 戦士のかばねを包む・・・卑怯者去らば去れ われらは赤旗守る♪」の歌声が刑務所内に響きます。
私もこの歌を歌った学生時代が思い返され、いくつもの場面が浮かびました。
●伊藤千代子だけではなく多くの若き女性が、拷問に耐え抜き非転向で頑張りぬいたことがわかります。
現在のように情報が瞬時に共有できるわけではなく、闘いの経験を交流しあう機会もない中で、「この道でいいのだろうか」、さらに目指す方向は正しいと確信しても「この方法でいいのだろうか」と、皆それぞれに大きく動揺したはずです。でも、獄中で共に闘った女性たちは、それぞれの人生を貫きました。
この力の源泉を確かめたい思いに駆られます。少なからぬ人が苦渋とともに転向していった(実はこの比率はよくわからないのですが)、その一方で日本共産党の志と名誉を守り抜いた人がいたことは実に貴重な軌跡だと思うのです。
この力を保障したものは何だったのか、今後深めたいことの一つとなりました。
●映画を観た後、話題になったことの一つは、最近の新しい仲間はこの命がけの活動をどう思うか、ということでした。「こんな攻撃にさらされるんじゃイヤだよ」とたじろぐ人も多分いるかと。
●私がそこで思うことは、「男女平等」「主権在民」「侵略戦争反対」など当たり前の主張を抹殺するために虐殺を繰り返す、これが絶対主義天皇制、支配のために作られた権力の本質だということです。
人間性を豊かに発揮できる社会をめざし、人間の普遍的な真理を手放さない日本共産党は、時の支配者にとってさぞかし不都合なことでしょう。今も生きる反共主義や常に存在する共産党に対する攻撃はこの故かと。
(2022.10.10)