●娘が亡くなって4年半、娘のお骨は夫だったO家のお墓に眠っているのですが、分骨のために慌てて、我が家のお墓をつくりました。もう少し落ち着いて考えるとよかったのですが、やはり気が動転していたのかもしれません。
当時、お寺のお墓などは空いていないだろうという思いと、宗教にはあまり縁がないからと、一般霊園を探しました。案内された中で最も近いと思われた墓地は横浜の保土ヶ谷区。
でもその場所は、それまでに何のゆかりもない場所であり、家から離れている事もあって、とても優(娘)のお墓という気持ちになれなかったのです。
●もっとも、優のお墓にならなかった理由は、これだけではありません。そもそも我が家にある分骨は、ひとりで冷たいお墓の中に入れるのは寂し過ぎて、今も我が家に。私か夫が一緒に入れるまで、ここに居ようねという思いでした。
ズーッとそんな思いを抱えながら、4年以上経ちました。ひょんなことから地域になじみのあるお寺にお墓の場所が空いている事がわかり、そこのご住職にお話を伺い、お墓を移すことが可能なこともわかり、手続きを進めました。
●12日は位牌入仏(魂入れ)法要という事でした。私は宗教に思いを寄せる人間ではないのですが、お墓をつくったことにより、そのお寺と多少の関わりを持つのはやむを得ないかと、娘の居場所をつくるような気持ちで、この日は参加していました。
気候が良い日でした。お経を聞きながら、開けられた窓の外に目をやると、鮮やかな緑が目に入いり、気持ちがよい場所だなと思いました。
お経は意外にも心地よく響き、「宗教って人間の気持ちを和らげる役割を果たすのかなー」などとも思いました。
宗教に思い入れがある訳ではなくても、多くの人が告別式の後も49日の法要や、めぐる年月とともに法事を行ったりします。それは死者に対し届けたい思いがあるからだと思います。毎日小さな分骨に語り掛けるのと同じ行為だなと思いました。
私は宗教と縁ができる事に、実は抵抗があったのですが、この日、宗教と関わらなくても人間は祈ることに気がつきました。
現世のことを宗教に託すことはしませんが、死者に対しては、宗教が時に関わって祈ってもいいのかな、という気持ちになりました。
●まだ、すぐにお骨を入れるつもりはないのですが、優の居場所をつくれたようで少しホッとしました。
お寺から帰りながら、息子が、「学校から学童に行くとき、この近道を通っていたんだよ」とお墓の脇で。その言葉を聞き、「優が毎日通った道だから、この引っ越しを喜んでくれるかな」と思いました。
優は、生まれ育った小杉が好きでした。学童に通うのはもちろん、小学校・中学校生活を満喫しながら、友達と遊びまわった地域です。そんな日々が思い出されます。優の愛した友人たちもこの場所なら愛着を持ってくれるかなと思いました。
来年の12月には7回忌を迎えます。(2021.6.12)