●任期の折り返しに当たる2年が経ち、市古次郎市議が「市政報告会&交流のつどい」を行いました。はたの(畑野)君枝衆院議員、おおば(大庭)裕子市議とともに私も参加しました。
オープニングの松本良江さんのピアノと歌声は、色んな思いを去来させました。音楽はやはり力があります。「しばらく生の音楽を聞かなかったので、とても心に響いた」との感想も後から聞きました。
●畑野さんは、平間の踏切の改善めぐる市古次郎さんの活躍を語っていましたが、議員になって早々、大きな実績を作りました。
大庭さんも私も語ったのは、その行動力と営業マンの影響もあったであろう相手に対する敬意のこもった言葉遣いや態度。活動家として過ごしてきた私などとは違う感性と言葉を発信しています。私達に欠けがちなものを気付かせてくれると思います。
●一昨年の台風により、中原区も大きな水害に見舞われました。その傷も癒えない内に昨年は新型コロナ感染症の広がりで、私たちの暮らしは不安に包まれました。当然ながら議員もその波を受け止め、かつ住民要望実現のために奮闘しましたが、議員にとっても初めての経験でした。
市古議員にとっては、「議員になったとたんに巻き込まれた感」ありの大変なタイミングだったと思いますが、それらの実感を交えながらの報告もありました。
●参加者からの意見・要望を聞く場もあり、その内の一人、テレワークが続く若者からの発言は印象に残りました。テレワークを絶賛し、「このままずっと続けばいいと思っている」との発言でした。理由は「通勤の苦労が無い」「融通がききやすい」という類でした。
私は具体的に生じている問題点を少なからず聞いていますから、もちろん違う受け止めをしていますが、このような受け止めになることに軽いカルチャーショックを覚えました。
●テレワークという言葉で、私が真っ先に浮かぶのは、「アー働く人がバラバラにされてしまう」という思いです。職場の人が何を考えているのかもわからず、仕事上で問題が起きても、おいそれと相談どころか愚痴を言う相手もいないという図が、すぐに思い浮かんでしまいます。
でもこんな問題意識は、多分この日の青年は受け入れられないだろうと思います。この青年のような感覚が多数派になれば「常識」も変化していくのだろうと思います。その変化は、労働運動などとは容易に結びつかないものになっていくだろうと思われました。
この問題は、他の人の意見も是非伺いたいものです。
●この点では、報告だけではなくまさに「交流のつどい」になっていたなと思います。そしてその交流は、明らかに違うベクトルも含んだものとなりました。今後を考えれば必要なステップなのでしょう。(2021.4.3)