●だいぶ前から、夫に「半日ぐらい、時間空けられない?」と言われていました。神田日勝の展覧会に行くためでした。
と言う訳で、本会議と常任委員会の合間、会場の東京ステーションギャラリーに向かいました。このギャラリーは東京駅舎の中。東京駅は何カ月ぶりでしょうか。
●神田日勝というのは、帯広近くの鹿追町で、開拓農民として、また画家として生きた人です。1937年生まれ。1970年に32才で亡くなりました。
昨年の朝ドラ「なつぞら」の山田天陽のモデルになった人です。北海道というだけで惹かれてしまう私ですが、神田日勝の絵は十分魅力的でした。
共に暮らした馬の絵の数々、また開拓農家の「家」と題する絵が印象的でした。時間があれば、もっとじっくり付き合っていたい画家でした。
●私が暮らしていた札幌などより、遥かに気候が厳しかった帯広です。原生林を掘り返すこの地の開墾は本当に大変だったと聞きます。
その苦闘の中で絵を描くのは、いつも葛藤を抱えながらだったと思います。自画像の顔は、(最初の18歳の頃のまだあどけなさが残る1枚を除いて)いつも寂しげな浮かない表情のように私には思えました。まだ納得のいく作品は描けてなかったのかもしれません。
●開拓農家で働く馬は、前脚の付け根とお腹の横の毛が擦り切れているそうです。馬具でこすれるからです。仕事の激しさを物語っています。
痩せこけた馬や、息絶え横たわる馬も描かれていました。馬は愛情とともに哀しみの象徴だったのかもしれません。
また絶筆となったのは、馬の半身のみの絵。これは彼の描き方が、全体像として書き進めるのではなく、中心的なモチーフを部分的に描き込む珍しいタイプだったことから生じています。まさに半身を描いた途中で亡くなったのです。
●久しぶりの展覧会は、感染症対策で入場者を制限し、予約制になっています。そのせいで人混みがなくゆったりと回れます。人と重なることもなくマイペースで見ることができました「展覧会というのは本来こうでなくちゃ」と思わせました。
新型コロナ感染症の広がりは、過酷な体験ですが、多くのことを気付かせてくれています。医療や教育の矛盾が明らかになっていると、宣伝などでもしばしば語りますが、美術館においてもそんな発見がありました。
●駅近くでお昼の食事をしました。ここでは、もちろん間隔をあけるなどの配慮をしていましたが、思いがけなかったのは、「これにマスクを入れて下さい」と、朝顔の絵の入った折りたたんだ紙を差し出された時。
ここまで必要ないと思う方もいるでしょうけど、私はちょっとした感動を覚えました。食べる傍にマスクが転がっているのもあまり粋ではないし、またマスクを食事後使用することを考えれば置き方にも気を使います。そこに爽やかな絵が差し出されたのです。
何より「よくここに着眼できる」とその細やかさに魅せられました。
結構新鮮な思いを味わった2時間余り。その後、常任委員会の質問準備のため、県議団控室に向かいました。(2020.6.24)