●災害ボランティア経験の豊富な方から、お話を聞く機会がありました。
その方は、川崎のボランティアの受け入れ態勢がとても弱いと仰っていました。
具体的には、
*ボランティアセンターが狭すぎる、大勢の受け入れに支障をきたす。
*被災した場所にサテライトを設けなければ迅速な対応ができない。
*サテライトにスコップや土嚢などの資材を常備すべき。
*車がなく機動性に欠ける。
*被災した人を回り、センターとして要望を聞くことが大切。
等々です。
災害ボランティアは、被災後2週間が勝負、時間が経過すると復旧は一段と困難になると強調されました。
いずれも大切なことですから、川崎市に改善を申し入れなければ。ボランティアの方が貴重な力を存分に発揮していただくためにも、やはり行政の力が不可欠です。
●おおば裕子市議と私はこのお話を伺った後、ボランティアセンターを訪れました。
今回の被災で急遽、市社会福祉協議会に設けられ、17日から活動を開始しています。
ボランティアの方も行列で受け付けを待っていて、センターの方は、対応に大わらわでした。合間に少しだけお話を伺いました。市としても初めての経験で、手探りで進めている状態と。サテライトにまでは至っていませんが、被災地域には資材置き場を設置。中原区は「中丸子老人憩の家」「中部下水道事務所」、高津区は「高津区役所道路公園センター」です。
忙しそうなこの日は、状況を把握するだけにしましたが、後日(と言っても急ぎ)体制を整えなければなりません。
●その後、河川敷の状況を見に行きました。
子どもも大人も、野球などで多く河川敷を利用しています。野球チームも集まっていましたが、グランドは跡形もありません。手をかけ愛情持って整えてきたグランドです。ポールも倒され、一部ネットが引っ掛かり残ったという状態です。どこから手をつけたらいいのかわからないという状態です。
河川敷の様相は、川の流れの凄まじさを物語っていました。樹木はあちこちでなぎ倒されています。
土手を見上げると、土手を超えるまであと一メートルという高さにまで迫った水の跡が残っています。河川敷に立っている私は、完全に水没です。この頭の何メートル上が水面だったのだろうかと思うと、川の恐ろしさを実感しました。
●全国で起きている災害、その被害の悲しさ、そして繰り広げられている災害との格闘。人間の暮らしというのは、容易ではないと実感します。でも、そこで試されるのが人間の力で、希望もそこにあるのでしょう・・・。(2019.10.20)