●過酷な災害が続いたこの夏、23日の中原区総合防災訓練には大勢の人が参加していました。
地震体験、煙体験、119番通報体験、転倒家具からの救出体験、応急担架のつくり方、三角巾による応急体験等々・・・まだまだありました。
今回、仮設トイレもじっくり見ました。催しなどの際に設けられるトイレではなく、自前で用意する段ボールを使ったトイレです。既製品もありましたが、手作りの方がしっかりしていて使い易そうでした。
切実なのは、食べ物とトイレとよく言われます。
災害が次々と各地で起こり、いよいよ他人事ではありません。今まで、トイレはあまり考えていなかったのですが、これは用意しなくてはと思いました。
●大災害の場合、実際救助が届くまでには時間がかかりますから、命をつなぐためには、当面のことは自分で確保しなければならないとは思います。でも自己責任ばかりが強調されるのも困ります。
挨拶の中で語られた言葉が、「自助、共助」でした。私は公助が抜け落ちているのが気になりました。
●2004年のイラク人質事件からでしょうか。「自己責任」という、もう一方の無責任を合理化するような言葉が頻繁に使われるようになったのは。
また、新自由主義が大手を振る中で、「財政のスリム化」が正義であるかのように掲げられ、自助・共助がもっぱら使われるようにもなりました。
その度に、「公」も忘れないで、と私は思います。
そもそも、税金を使い政府(自治体行政も)を形づくっているのは、個人や隣人だけでは、及ばない役割を担い、人々の暮らしを支えるためです。
防災といえば、防災訓練とともに、被害を最小限に食い止める河川対策、雨水対策、急傾斜地対策等が、まさに「公」に期待されます。
防災訓練の場面からも、色んなことを考えさせられます。(2018.9.23)