●市古てるみ市議からバトンを受け取る市古次郎さん。
次郎君(ここから「君」に変えます。「さん」だと、どうも調子が出ません)を市議会に送り出すつどいが行われました。
大勢の人が集まり、市古てるみ市議の圧倒的な存在感、それを次世代に手渡すという地域の人々の熱くかつあたたかい思いのこもった集会でした。
次郎君の活動家らしからぬ(?)語り口も魅力的でした。
●私は、次郎君への期待として、現役世代の男性の心をとらえてほしいとお話ししました。
以前、共産党に期待しつつ、率直な声を投げかける人たちとお話しした時のことです。
「共産党の政策は女性には説得力があるだろう。医療・介護・子育て・教育などがよく訴えられる。だが現役世代の男性にもっと語ってほしい。その場合には、日本の経済が語られなければ」といわれました。
「日本の経済」に象徴されているのは、リーマンショック後の日本経済の展望をどうつくっていくのか、空洞化激しい日本の産業をどう再建していくのか、大企業にため込まれる一方の内部留保をどのように働く人に配分していくか、そして過酷な働き方をどのように変えていくか、等々だと思います。
●これらを語り、働くことの喜びと苦しさを語るのに、次郎君は最適だと思います。6月まで、長時間の残業をこなしながら、成績に追われてきた次郎君。
私は駅頭などで、次郎君の長時間労働を告発しながらも「仕事は楽しいです」と語る言葉に、新鮮な驚きを感じたことがあります。
私は、現在の日本の過酷な働き方を変えたいという思いが強くて、仕事の喜びを語るところに思いが至らなかったというのが正直なところでした。
でも、人は苦しさとともに、自分が懸命に取り組んだ仕事には愛情を感じることも多いのだと思います。その両方が視野に入っていてこそ、働き方を人間らしくしていくことに近づくのだと思いました。
●局所的には、喜びなど入り込む余地もない現場も多くありますが、やはり、ものを創り出す喜び、利用者にありがとうと言われる喜び、等があってこその労働だと思います。
「生活の糧」を得るための労働の意味ははっきりしています。でも労働は人間の営みに必要な作業から成り立っています。だとすれば糧を得るにとどまらない意義や喜びも本来的にはあるのだろうと思います。
これらを味わえる労働条件を確保するのが、私たちの仕事です。
●こんな事を考えながら話し、そして次郎君の最後の話に笑いを誘われながら、つどいを終えました。
次は私の「秋のつどい」です。皆さん、是非お集まりください! (2018.9.22)