●夏は、学ぶ機会が多い季節です。25~26日は生活保護問題議員研修会でした。
全体会は盛りだくさん。基調報告「生活保護の動向と生存権の保障」に続いて「メディアから読み取る生活保護と子どもの貧困」、「医療現場から見える子どもの貧困」の講演。
さらに特別報告1「生活保護世帯実態調査を踏まえて」、特別報告2「私のまちの生活保護~議員としてのチェックポイント」といった具合。
●どれもこれも身につまされる話がいっぱいです。哀しい国に怒りを覚えます。
・病院でお金を払えず、やっと分割で1000円ずつ払ったが最後の時は泣きながらお金を払ったという話には、それこそ泣けました。
・生活保護利用母子世帯の高校生「そういわない人はいなかった。親の面倒はあなたが見てあげるんだよ、と親せきの人も、近所の人も、学校の先生も」。
●この国は、生活保護に至る過程の何と厳しいことでしょう。
・まず相談がなかなかできない「助けて」といい難い社会。「自分は生きるに値する人間である」という自己肯定感がもちにくい社会。相談すれば何とかなるという信頼感が持ちにくい社会。
・生活保護と引き換えに失うものが多い制度。例えば車を持つことが大きく制限されるため、手放せない事情を抱える人は申請しない(できない)。
将来の夢の実現のために苦しい中で貯金をした。保護を受ければ解約して生活費に回すことを強制されるから、その子のために生活保護を受けられない(受けない)。その貯金だけは守りたいから。
・行動を制限される(パチンコするなどとんでもない)、
・蔑(さげす)みの眼で見られる、等々。
●これらの結果として、日本の生活保護受給の捕捉率は驚くほど低いのです。フランスの91.6%、スウェーデンの82%などに対し、なんと日本は15.3%!
上記のような背景、制度的な問題、そして人権として根付いていないことなど、貧困で苦しむだけでなく、生活保護受給であることにより困難と屈辱を余儀なくされます。
一方で補足率の低さは、困窮の中で保護を受けずに息をひそめる人たちがいかに多いかを示します。
●制度の問題とともに、私はいつも思います、なぜこの国の人々は経済的弱者にこれほど冷たいのかと。
芸能人めぐる数年前の報道などその最たるものですが、生活保護バッシングが続くこの国、為政者にとって本当に御しやすい国だったことでしょう。
人間らしく暮らすことは人権であると、この国で根づかせたい! (2017.8.26)