●中原平和公園では、毎年平和コンサート(みんなでつくった平和公園 みんなでつくろうコンサート)が開催されています。
私はこのコンサートの度に、この公園の歴史を思い浮かべます。
米軍は、1945年に東京航空計器株式会社の工場を接収し、極東一の米軍出版センターとして利用してきました。朝鮮戦争やベトナム戦争時には謀略ビラや偽札がここでつくられていました。
この土地が返還されたのが1975年。この間、川崎革新市政は市民団体とともに接収の早期解除と跡地の公園化を求めてきました。70年代の高校増設運動とも結びついていました。
跡地には、1980年県立住吉高校が誕生し、中原平和公園は整備が進められ83年6月開園となりました。82年6月核兵器廃絶平和都市宣言がなされていましたから、83年に核兵器廃絶平和都市宣言記念碑が公園内に建立されました。
平和コンサートは、この記念碑が建つ平和公園で、原水爆禁止世界大会に参加する代表団激励の場として始まり、今年42回目となります。
場所も歴史も平和コンサートの名前に相応しいと思います。
●まだ明るい午後5時から始まりますが、徐々に暗闇に包まれていきます。
ずーっとこのコンサートを担ってきたMさんが、体調思わしくなく、舞台に立てるか危ぶまれていましたが、舞台に上がることができました。ウクライナ民謡「キエフの鳥の歌」などを歌いあげました。
またやはり長時間立つことが困難になったSさん、今年はどうかしらと気になっていましたが、合唱団の一員として歌声を響かせていました。合唱団最後の「青い空は」の歌声はやはり素敵。
私はこの二人の姿に、「あー良かった」と目がウルウルとしてしまいました。
●最後は、原水禁世界大会参加の代表団からの挨拶となりますが、今年の決意表明はのずえ明美さん。彼女には、私も予定候補者として高津区でいつもお世話になっています。
ウクライナとガザの戦火を止めたい、核兵器禁止条約に早く日本を参加させたい、地球上から核兵器をなくしたい、今年も切実な思いを抱えた「熱い」夏です。(2024.7.14)