君嶋ちか子

きみしま 千佳子
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神奈川県議会議員
活動日誌

ウクライナとダブる中原空襲展 |君嶋ちか子|神奈川県会議員

2022年4月22日

●会議の合間を縫って、中原空襲展に行きました。

第1回が2011年ですから、12回目を数えます。20009年に「川崎中原の空襲・戦災を記録する会」が設立されて以来の貴重な取り組みです。

毎回参加させていただきながら、必ず新しい発見があります。

●その一つは、学童集団疎開の費用です。疎開の寂しさや辛さは聞いていましたが、その経済的負担など、思いも及ばなかったのです。

資料を見ながら、アーそういうことかと、思い知らされました。戦争中の過酷さが疎開からも浮かび上がります。

「諸準備及び携行品」一覧を見ると、寝具の欄だけでも、<かけ布団二枚、敷布団、敷布二枚、枕、枕覆二枚、座布団、毛布または夜衣、寝着>と続き、日用品の欄も、<弁当箱、どんぶり、さら大、さら小、お椀、箸(中略)ぞうきん、マスク、糸、針、あてぎれ、包帯、古新聞>などと続きます。

他にももちろん、衣類・履物・学用品などは用意しなければなりません。修学旅行のように寝具や食器が揃っている旅館に行くのと違って、全て用意しなければいけなかった事に気づかされました。

今の様に宅急便がある訳でもない時代に、準備は大変な負担だった事でしょう。

さらにお金の負担。<助成会費弐円、国民貯金壱円、疎開児童保護者負担金拾円、授業料参円、必勝献金>と書かれています。保護者負担も今まで考えが及びませんでした。

当時の10円は、今なら3万円相当といいますから、各家庭にとって大きな負担だったことと思います。お金が無くて疎開できなかったという事例などなかったのでしょうか。

●この会の代表もされている中島邦夫さんが、疎開時にご家族と交わしたハガキも展示されていました。

かつて「新かながわ」に掲載する記事のために、中島さんにインタビューしたことがありました。中島さんは、10歳の時に、家族から離れ1人疎開しましたが、3月10日の東京大空襲で、ご両親・妹さん・弟さんを失いました。

3月6日付の手紙を最後に便りは途絶えました。戦争が終わって、待っても待っても迎えが来ない、家族の死を知らない中島さんは、裏山に登り東京方面を見ながら、迎えに来てくれることを願ったそうです。10歳の少年がどんな思いで迎えを待っていたかと思うとたまらない気持ちになります。

●今年の空襲展は、ロシアによるウクライナの攻撃が極まっている中で行われました。

77年前の空襲展の映像などと、現在進行中の爆撃や殺戮がダブり、互いがよりリアルに迫ってきます。

家族を失い、心も体もその後も長く傷を負い続けます。この惨劇を再び許してしまっている世界を痛まずにはいられません。

一刻も早くやめさせるために声を上げ、戦争に至らせない努力を続ける政治を実現したいと思います。(2022.4.16)

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