君嶋ちか子

きみしま 千佳子
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神奈川県議会議員
未分類 活動日誌

北大闘争50周年の年に語り合う夕べ |君嶋ちか子|神奈川県会議員

2019年11月9日

●北大入学は、1969年。入学式に向かうと体育館は封鎖されていて中止、そこから北大の生活が始まりました。
突然いわゆる学生運動の渦中に放り出された感じでしたが、何に対しても無関心ではいられない私、様々な潮流が入り乱れる中で、結局、「社会を変えるならここ」と行きついたのが共産党でした。

●あの時代を語る時に象徴的に取り上げられるのは、ヘルメットやゲバ棒と封鎖や破壊です。
でもその時代、大学の自治や学問の自由を守り、大学の民主化を目指し粘り強く行動する学生と教職員がいました。私はここで、歴史を進める一コマを描こうと思いました。
感受性豊かな20歳前後に、この嵐のような時代と遭遇したのは、私の人生に大きな意味を持ちました。その後を貫く価値観や生き方に巡り合いました。

●その1969年から50年を経て、札幌(近くの定山渓)につどう事になりました。私は呼びかけ人の一人に名前を連ねながらも、頭を悩ましていました。翌5日が決算委員会開催日だったからです。
朝7:30発の千歳始発便に乗れば、10時10分には、議会に到着できるはずでしたが、台風を初めとしてハプニングが生じて議会に遅れたら…との懸念があったからです。
結局は、「50年を語るつどいは今回しかない」と意を決して参加しました。お天気が順調なことを願いながら。(台風などの場合は、予定を変更することも考えていましたが…)
果たして、夜通し語りながらも翌朝5日は無事、委員会に遅れることなく出席することができてホッとしました。

●北大闘争とは何だったのか、またそれ以降の人生…などこもごも語り合いました。
華々しく取り上げられる全共闘や革マルは、社会的なインパクトはあったのでしょうが、やはり、民主化や学問の発展という点からは妨害者として立ち現れたと思います。
「たられば」を言っても仕方がないのですが、彼らの封鎖や破壊、それに伴う暴力、警察の介入などがなければ、もっと確かな闘いができたのになーと思います。

●その後の人生はまさに色々です。早く亡くなった仲間も少なくありません。私が卒業後も身近に過ごしてきた経済学部の活動家仲間も、5人が逝ってしまいました。
私は公務員として、労働組合員として、また地域の活動もしながら、三人の子育てを忙しくも楽しくやってきました。
定年退職後も議員の仕事に巡り合い、意義ある日々を送れているのは、ありがたいことです。納得ずくの人生という言葉が浮かびます。娘を失うという不意打ちを除けば。

●あ、そうそう、語り合う前には、荒又先生の講演もありました。
私の学部ゼミの指導教官。賃金論や社会政策を荒又ゼミで学びました。でも活動に明け暮れ勉強不足の学生だったことは、今も恥ずかしい限り。
あの頃は35歳だったんですねえ、現在85歳。今も脈打つ志をしっかりと感じさせていただきました。

IMG_6068「真ん中の写真、木の下に立っているのが私・君嶋です」

(とりわけ気が急くとんぼ返りだったこともあり、愛着を持つ北海道を一枚も写さずに帰ってきてしまいました) (2019.11.4)

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