君嶋ちか子

きみしま 千佳子
神奈川18区から政治を変える
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神奈川18区女性・雇用相談室長前神奈川県議会議員
活動日誌

戦時下強行された相模ダム建設、命を失った三つの民族 |君嶋ちか子|神奈川県会議員

2019年7月29日

●この追悼会(相模湖・ダム建設殉職者合同追悼会)に初めて参加したのは2年前。日本・中国・朝鮮の3民族の追悼と今後の友好と平和を誓うという点が、私には印象的でした。
相模湖は、日本で初めての多目的ダムとして造られました。県の事業として1940年に始まり、完成は1947年。この時期を考えると戦争遂行のための国策?と思いたくもなります。
そもそもダム建設に反対する声も強く、地元の反対住民が県庁を取り囲んだとの記載もあります。
戦時下の労働力不足により、日本の各地から労働者・学生が動員されても足りず、さらに朝鮮半島からの連行、中国人捕虜の動員も行われました。従事させられた数は、3百数十万人と言われています。戦中の故、資材及び食糧不足による事故や病気が多発し、氏名が判明しただけでも83名の方が亡くなっています。

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●亡くなられた中国人の方の表が資料に掲載されていましたが、18歳から37歳までの若者が、28名も亡くなっています。
死亡原因不詳の方が5人、自殺1名、行方不明1名、事故と思われる(作業を強制する側からの暴力もあり得るなと思いながら)頭蓋骨打撲脳震盪と記された以外は、病名が記されています。この限りでは、事故によるものよりは、労働環境の劣悪さによる死亡が大半だったと思われます。
目を覆う悲惨さです。不本意に他国で、過酷な労働の末に命を失う、さらにこの表に載らない人達も多くいただろうに、家族も待ち続けただろうに…等々思いは乱れます。

●このような歴史を受け止め、合同追悼会が続けられています。負の歴史を正面に据えていること、三民族の追悼を掲げている事が、特徴だと思います。この日の挨拶でも、中国大使館の方は「歴史に対する反省なしには、日本は未来を語ることができない」と率直な言葉を述べられ、朝鮮総連の方は「朝鮮学校にのみ支給されない学費補助金」に言及し、さらに幼保無償化においても排除されている事を指摘し、国と県の責任を問いました。
この率直なメッセージを、私はとても素直に受け止めることができましたが、今の日本の風潮の中では、述べることに勇気が必要だったろうなと思いました。一人でも多くの人がこの言葉に耳を貸し、事実を受け止めてほしいと思わずにいられませんでした。

●県の事業であったことから、県の代表も挨拶しましたが、これほど多くの犠牲者を出したことに対する責任があまり感じられず、どこか他人事のように聞こえてしまいました。「県を代表して、代読」というくだりがあり、知事でもなく誰の代読なのかと思い、挨拶の方にもその点確認しましたが・・・知事の参加が妥当かなとも思いました。

●地元の北相中学校の「相模湖賛歌」の朗読、内郷小学校の合唱とリコーダー演奏は、この事業が、地元に根付いている事を感じさせました。
フィナーレの全員合唱は、梅原司平さんがつくった「折り鶴」。「生きていてよかった、それを感じたくて~♪」「この耳をふさいでも聞こえる声がある~♪」、これらのフレーズにまた涙ぐんでしまう私です。被災者の思いとともに、またもや娘のことが重なるのです。
「生きていてよかった~」優からこのことばを聞きたいなーと。(2019.7.28)

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