●卒業式の時期となりました。
区内の県立高校からご案内を頂きますが、いつも三校が同日。よって、三校順繰りに参加させていただいています。
●住吉高校は、外壁の傷みが激しく、ご近所の方からも度々何とかしてほしいと心配する声が上がっています。私も、何度も調査し、質問でも取り上げています。ところが手入れが遅れている県立高校は、県内あちこちに危険な状態も抱え、なかなか改修工事の順番が回ってきません。
「アーこの4年間で直したかったなー」と思いながら、校舎を見上げました。正面は塗り替えられているのです。ところが不思議なことにひび割れ黒ずみの壁に途中から変わります。つまり、外壁塗装の補修が一部のみなのです。なぜ途中で補修が終わっているのかと担当課に聞いても、理由がわからないという不思議な状態です。
●卒業証書を受け取る姿を見ながら、なぜか、「県立高校改革」により次々と廃止の対象になる高校のことが思い浮かびました。卒業した子どもたちにとって、思い出が詰まった学校がなくなってしまうのは大変な喪失感を伴うなと改めて思いました。
また「県立高校改革」で、高校の特色づけが強いられ、その結果生じている格差や進路についての一定の限界も思い浮かびました。
式辞などで送られる「君たちには限りない可能性がある」という言葉を、実感をもって受け取ることができない生徒がいるのでは、と様々に性格付けされた県立高校を思い浮かべました。
「県立高校改革」が、その学校によっては、「君の羽ばたける範囲はここまで」と限界を作っているような気がしました。
15歳で選ぶことを余儀なくされた学校が、想定通りであった卒業生が県下でどれほどいるのだろうかとも思いました。やはり、「普通」の県立高校が欲しいと思います。
●9クラス354名の卒業生が巣立ちました。
卒業証書を受け取る際には、卒業生が、クラスごとに参列者に顔が見えるように舞台の前に並び立ちます。退場の時にも起立したクラスごとに担任教師と生徒たちが短い言葉で思いを交わします。
これらの場面は、生徒を大事にする象徴のように思われました。
式後、「式に先立つお別れの会で、既にそれぞれ思いを交わしていますが、一番熱い交流は部活ごとのお別れ会のようですよ」というお話しを伺いました。
●このお話しも印象的でした。というのは、「教師の働き方改革」で、多忙化解消の方策として部活の外部コーチの配置がうたわれていますが、かねがね学校で教育活動として行われている部活は、やはり教師の関与が必要ではないかという思いを持っていたからです(従来の過重な負担は、改善の必要がありますが)。
あ、やっぱり部活は学校生活の大事な要素だよね、等と思いました。
卒業式を初めとして、現場に臨むことはやはり貴重です。(2019.3.1)