●視察2日目の7月20日は、柏崎苅羽原子力発電所の安全対策を中心に見学しました。
当原発は、1959年の柏崎市議会・苅羽村議会の誘致決議から始まり、1975年の運転開始以降、40年使用の原発です。
●説明は福島事故についての謝罪から始まりました。事故からの教訓として次の3点を挙げていました。
○1「津波に対する防護が脆弱」
○2「電源喪失に備える、電源復旧対策や応急対策である注水・冷却手段が不十分」
○3「水素爆発防止や放射性物質放出を減らす手段が不十分」
これらの教訓に加え、○4「原発内部の耐震性の強化」、○5「緊急時対応訓練」が対策の柱となっていました。
●その後、サービスホールの模型等により原子炉の仕組みを見た後、バスに乗り広い構内を回りました。
構内は多くのトラックなどが行き交い、工事真っ最中といった状態でした。おもに○1「津波に対する防護」のための工事とのことでした。
再稼働に向けて、条件づくりを必死で進めているという印象を受けました。
●地震や津波は想定外のことが起こります。例えば、ここでは海抜15メートルの防潮堤を建設中ですが、福島における津波は海抜13メートルの5・6号機にも襲いかかっています。15メートルの防潮堤は絶対安全を確保するものではありません。
また、電源車や注水車も少なからず用意されていますが、もし炉心が損傷に至り、汚染物質をまき散らすならば、やはり福島の事故のように容易に車が近づけない状態となり、機能しない可能性もあるのでは、と案じられます。
●原発に限らず安全対策において「絶対」は現在の技術では成り立ちません。だからこそ、万が一事故に至った場合に、致命的なリスクを負う原発は廃止すべきと考えています。他の事故においては、福島のように長期間かつ広範な範囲において被害を負い続けることは多分ないでしょう。
福島原発事故は、5年を経てなお収束せず、その見通しも立ってはいません。核物質を扱う事はこれほど制御不可能です。
莫大なお金を使い「安全対策」を行っていることが、強調されればされるほど、私には逆に「そこまでしなければいけない危険なもの」と映りました。
●私はそもそも安全対策以前に、核廃棄物の安全な処理方法が未確立であること、被ばく前提の原発労働なしには運転が成り立たない、という二つの点から、原発は人間が使用すべきものではないと考えています。(2016.7.20)