大会などが重なって、川崎母親大会は午後の全体会にも遅れて参加しました。
松元剛さん(琉球新報編集局次長・報道本部長・論説委員)の講演はもう始まっていました。
印象に残るお話はいくつもありましたが、とても書ききれません。ごく一部を記します。
- 11年前に起きた米軍ヘリ沖縄国際大学墜落事故が象徴するもの
墜落事故の直後になだれ込む海兵隊員、そして現場封鎖の状況が映し出されます。カメラの前には何度も米兵が立ちふさがり、手でカメラを遮ります。基地内ではないにも拘らず、事故を起こした加害者が、他人の土地ずかずかと乗り込み、高圧的に現場を封鎖する、あまりにも理不尽で身が震える思いです。
学生・職員・報道陣は力づくで追い出され、警察は検証もできず、米軍は墜落機はもちろん汚染された土壌まで持ち去ったそうです。これを日本政府は追認するのみならず、米軍の対応は適切であったと評価したのです。
- これと対照的だったのがイタリアの米軍基地で起きた事故
低空飛行の米軍機がリフトのケーブルを切断。機密満載の戦闘機を取り返そうとする米軍に対し、イタリア警察はそれを許さず、パイロットの証拠隠滅を突き止め、パイロットを殺人罪で起訴。一時裁判権は米国にあるとされ、裁判は断念しましたが、これを機に飛行訓練の運用規定を強化させました。毎日の飛行計画の提出、低空飛行訓練は25%以下にする、などを履行させています。日本政府とのあまりの違いに驚きます。
- 百田尚樹氏の「沖縄の2紙はつぶさなければいけない」発言は、権力の対極に立つ報道を象徴。2紙のみならず全報道機関に向けられた言論封殺ととらえ、民主主義成熟の契機に。
闘いは人を鍛えます。首相と大手マスコミの会食リストが作られている「本土」とは雲泥の差です。この発言に異を唱えるべく、発言直後に2紙が200部も増えたという嬉しい話も。
- 差別・屈辱・生命の危険等々に日常的にさらされている沖縄には、心を打つ言葉がたくさんあります。その一つ「負けない方法がある。それは勝つまで諦めぬこと」。