●川崎中部地区委員会は、共産党を知るつどいパート3として、栗原千鶴赤旗記者を招き、昨年12月の韓国の日々を語っていただきました。栗原さんは、10年にわたって韓国の取材を重ねています。
定員を超えた参加者があり、急遽隣の部屋も借りる(幸い、可動式の壁でした)という盛況。この出来事への関心の強さがうかがわれます。参加者は息を呑むような思いで、聴き入りました。
●ユン・ソンニョル(尹錫悦)大統領の戒厳令宣布が突如なされたのは、12月3日の午後10時半、直後に兵士が国会突入を図ります。この時の国会周辺の市民と軍隊の姿は、ニュースなどで記憶に新しく、女性が兵士から銃を取り上げようと激しくもみ合う場面、国会議員が市民に押し上げられながら、国会議事堂の窓から議事堂に入る姿などを思い浮かべました。
野党国会議員は普段からユン大統領の動きを警戒し、「宣布があったら国会に直ちに駆けつける」との意思統一をしていたそうです。
これらの結果、午前1時には与野党議員190人が戒厳令解除要求決議案を採択。2時間半で解除となる鮮やかな結末でした。
●市民や議員秘書は「歴史に対する罪人になるな」と軍隊を説得し、兵士の父親は「国民には決して銃を向けるな」と諭す、国会を去る軍隊に向かっては「民主主義の同志だ」という声が市民から上がる、戒厳令解除の背景にはこんなドラマがあったそうです。
テロ制圧部隊が投入されていたということですから、本気で弾圧にかかれば議員らの国会議決はあり得なかっただろうと思います。
●解除後も、市民は国会前に連日集まりました。歌と踊り(ほぼコンサート状態と栗原さんは言っていましたが)を盛り込んだ集会を元気に続けて、12月14日ついにユン大統領の弾劾訴追案を可決させ、職務停止に追い込みました。無数のペンライトが揺れていました。
度々軍事独裁政権を余儀なくされた歴史に学び、大統領の過ちに断固として立ち向かう市民の姿はこよなく美しかったです。
職務停止とはいえ、まだ大統領の地位についています。罷免をめざす市民とユン大統領支持派とのつばぜり合いが続いています。
●女性と若者が多く立ち上がっていますが、ユン大統領が「女性家庭省」の廃止を狙っている事や、「女性も軍隊に行くべき」という動きが、女性たちを突き動かしているのではないかと栗原さんは語ります。
このような闘いの中で、「本当の左派政党が欲しい」との声もあり、日本共産党への関心も高まっているそうです。日本共産党のことを知りたいと、韓国から高校生や大学生が訪れたという嬉しい話もありました。共産党の地方議員が多くいることにも注目していたとのこと。(2025.2.24)