君嶋ちか子

きみしま 千佳子
神奈川18区から政治を変える
働く場と学ぶ場に希望を!
神奈川18区女性・雇用相談室長前神奈川県議会議員
未分類 活動日誌

ベトナム報告4~6 |君嶋ちか子|前神奈川県議会議員

2023年8月31日

【ベトナム報告④】
●️ベトナムに来てから、FBアプリが使えずヤフーから入っていますが、写真が横になったり逆さまになったり、しかも文章含め「編集」ができず、相当見苦しくなっています。ご容赦を。

●️ハノイの旧市街地を訪れました。
北爆を逃れて、昔からの佇まいたっぷりに建物が密集しています。
️とりわけ、特徴的だったのは、商業区。ハノイ36通りと呼ばれるこの地域はハノイに首都が置かれる以前の首都、タンロンがあったところ。
通りごとに同種のお店が並んでいます。当時は同種の工房もあったそうです。
商品の並べ方も圧倒的な密度。どこも客の姿は見かけず、店主は座り込んでそれぞれにやりたい事をやっていると言う雰囲気。
商売成り立っているのかなと心配になってしまうのですが、11世紀から商業の街として栄えてきたということですし、現にこれだけのお店がひしめき合っているのですから、余計な心配なんでしょうね。

旧市街地もバイクがいっぱい
旧市街地の家並み
ぎっしり詰まった商品

●️専ら、ベトナム戦争を通して知ったベトナム。
アメリカと闘う勇敢な姿が真っ先に浮かぶのですが、今回ハノイの歴史ある場所を歩きながら、人々の気負わない日常を見ることになりました。
「アメリカとの闘い」「独立」とか「社会主義」とかを、今はどのように捉えているのか、聞きたい衝動に駆られますが、込み入った話をするには、言葉の壁が・・。

【ベトナム報告⑤】
18日にはハノイからホーチミン市に移動しました。
ここではやはり、あの75年4月30日の舞台となった旧大統領官邸に行かないわけにはいきません。今は統一会堂と名付けられています。

●私は、1975年4月30日、解放戦線旗掲げた戦車が大統領官邸の門扉を突破した事を報じる朝日新聞一面の記事に震えました。「ベトナムがアメリカに勝った!」と。
世界史的な出来事に立ち会えた興奮を味わいました。これに先立ち、
※1968年のテト攻勢により、アメリカの劣勢はいよいよ明らかに。
※1968年、和平に向けたパリ会談の開始。
※1969年、南ベトナム臨時革命政府樹立。
※1973年、パリ和平協定調印。
これらの結実が、大統領官邸の開放でした。

同時に、ベトナム出兵拒否の続出などアメリカ国内の戦争忌避が強くなる中、トンキン湾事件が謀略であることが明らかになり、ウオーターゲート事件も起きるなどアメリカ国内の矛盾も深まっていきます。
国際会議も精力的に開かれています。
戦争を終わらせる力が、軍事戦線だけではない事がよくわかります。

大統領官邸開放の写真

●ベトナム戦争を振り返ると、現在のウクライナ戦争をめぐる状況は、軍事的な動き以外の分野が弱い様な気がしました。(ロシア国内の矛盾などは、報道が限られているだけで実際には生じているのかもしれませんが)

南ベトナム政府の大統領官邸、実に豪華な建物でした。今は会議などで使用する時以外は一般公開されています。
敷地内にはその時の戦車が展示されています。

【ベトナム報告⑥】
ホーチミン市にある、ベトナム戦争の傷跡を伝える博物館を訪ねました。
屋外にはアメリカの戦車や戦闘機が残されていました。

●屋内は写真展示が主。
大統領官邸への解放軍の進入は、心躍る場面でしたが、それ以外は、見る事自体気が引ける様な辛い写真が続きました。でも目を背けるのは、犠牲者に対しさらに酷い仕打ち。

虐殺の場面は、刻み込まなければ行けないと思いあえて写しました。
刀を突きつけられ斬り殺された若者。
子どもが一人道路に倒れている写真。
臓物がちぎれながら繋がる死体をぶら下げる兵士等々・・。

実物の井戸も展示されていましたが、この井戸に3人の兄弟が隠れたそうです。その子どもたちまで見つけ出し殺してしまった米軍。白布に包まれた3人の遺体を囲む大人達の写真。

川を泳ぎ必死で逃げる親子(カメラマン沢田教一氏がピュリッツァー賞を受賞した)「安全への逃避」や、石川文洋氏や中村悟朗氏の作品も多く展示されていました。

刀を突きつけられ斬り殺された若者
子どもが一人道路に倒れている写真
 
川を泳ぎ必死で逃げる親子(ピュリッツァー賞を受賞)

●心に重く残ったのは枯葉剤の影響。
ベトちゃんドクちゃんの下半身が一つに繋がった例だけではなく、大きな障がいを負った二世・三世が数多く生み出されました。
顔の機能を著しく損なわれた子。
ホルマリン漬けとなっている死産で生まれた子ども達。 ナパーム弾で焼かれた顔。

●ベトナム反戦運動の国際的な連帯を伝える展示室もありました。
懐かしいジョーンバエズの顔も。
ここには、「アメリカはベトナムから手を引け」のゼッケンをつけながら通勤をしていた金子徳好さん(私たちの年代には懐かしいお名前)の写真、赤旗写真ニュースも展示されていました。
このニュースには「ベトナム人民を支援しよう」「ベトナム侵略・爆撃すぐやめよ」などのスローガンが。
命がけの報道や国際的なベトナム支援の広がりは、圧倒的でした。改めて当時を思い起こし、敬意と同時に誇らしさを覚えました。

枯葉剤を浴びた親から生まれた方
ベトちゃんとドクちゃん
枯葉剤を浴びた親から産まれた子ども達(死産)
背中と衣類を焼かれて逃げる子
ナパーム弾で焼かれた顔
枯葉剤を浴びた親から産まれて
反戦ゼッケンをつけて通勤する金子徳好さん
赤旗写真ニュース
国際的連帯

●これに引き比べると現在のウクライナ戦争については、報道も国際的な連帯も日本における反戦の取り組みも弱いと思わずにはいられませんでした。
様々な条件が違いますから、単純な比較は成り立ちませんが。
この博物館は永久に、戦争の悲惨を伝え続けなければいけないと思います。それが、犠牲を強いられた人々に対してできる唯一の事だと思います。(2023.8.19)

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