●台風19号が上陸する12日、川崎市立の小中学校は、避難所の開設を行いました。
私は、今井小、今井中、井田中、中原中、住吉小に設けられた避難所を回りました。本格的な上陸前でしたが、既に雨風は激しく、その中を台風情報を聞いて駆けつけた人たちがいずれも100名ほど。
この地域はいずれも大きな被害を経験したことがない地域ですが、やはり昨今の災害状況が影響しているのか、若い世帯が多く避難していました。
多摩川の警戒レベル4を意識し、体育館ではなく、2階以上に移動していました。
宮内小は、900人が避難。大変な状況だったようです。
結果的に、多摩川の氾濫は回避でき胸をなでおろしました。
●ところが、明けて13日、大変な被害の状況を知りました。
午前中の山王町・下沼部は、三十軒ほど回りましたが、床上50センチほどの浸水が一帯を覆っています。泥の掻き出しと水をかぶった家財道具の整理に追われていました。
私の事務所近くの下沼部商店街も殆ど浸水。私の事務所も。
罹災証明で可能な制度周知の要旨を渡しながら回りましたが、アパートの1階に住む人からは、「今晩どこに泊まったらいいか」という訴え。
「近所のマンホールが噴き出していた」「多摩川の水が逆流していたのでは」という指摘も。
●午後は宮内1丁目を中心に回りました。工場が多かった地域に新しい住宅が多く建てられ、その一帯が床上浸水の被害を受けていました。
若い世帯で、お友達が集まり後片付けをしているお宅も多かったのですが、年配のご夫婦二人で大変なお宅も。
次のような訴えが。
・ボランティアが欲しい。
・車も水をかぶり、使い物にならない。
・下水管からあふれていた。下水の工事をやってほしい。
・ごみの始末を早く。
●深刻だったのは工場。この辺りには昔から規模が比較的小さい工場が多くありました。工場の機械も水をかぶり、使えなくなったところが多数。機械の被害が数億円に及ぶというところも次々。
業者が仕事ができなくなったら、直ちに死活問題です。機械、資材、製品すべて使い物にならなくなった、再建できるかどうかもわからない…等々、災害救助法の適用もこの時点では決まっておらず、本当に途方に暮れる状態でした。
●一日駆けまわり、暗くなってきた頃尋ねた事業所は、まだ水が引けずに業者に依頼し、水をくみ上げていました。それまでにくみ上げた水は110トン。でもまだたっぷりと残っています。水をくみ上げてからの作業もどんなに辛いことでしょう。
行政が最大限支えなければ。(2019.10.13)