●昨年は議会日程と重なり参加できず、川崎市の追悼式は初めてでした。
私達は来賓として舞台上でしたが(これも申し訳ないような気がしますが)、幕が開いて客席を見た時、私は軽い驚きを覚えました。失礼な言い方になるかもしれませんが、参加者の少ないことに対してです。
でも、これは、遺族の方が少なくなっている事を示しているのだろうと思います。72年経ちました。悲しみを抱えながら亡くなった方も多くいらっしゃるでしょう。また、高齢や病気などのために参加したくてもできない方もいらっしゃるのだろうと思いました。
●戦後72年を経て、悲しみや悲惨さをいやがうえにも味わった方々が少なくなってきているのは、安倍政権を初めとした好戦的な雰囲気と無関係ではないと思います。
私は、複雑な思いを抱えながら、花を添えていく遺族の方々の姿を追っていました。
●遺族の方はもちろん壇上の参加者も、戦没者を悼む気持ちには、変わりがないと思います。戦争を好む人も通常の市民にはいないと思います。
でも「平和を維持するために何が必要か」というところで、様々な考え方は存在するのだろうと思います。「武力行使と国の交戦権を認めない」9条に反対する人たちからは、「自分で国を守れなくてどうする」という声がよく聞かれます。
●でも私は、その「国を守る方法」こそ「決して戦争はしない」という決意であり、「そのために粘り強く交渉し平和的に解決する」政治力だと思います。
武力による方法では国は守れません。双方の武力行使のエスカレートが、国民を守るのではなく傷をさらに深くしている事実は、数々の戦争の例が示しています。
それに対して、「平和憲法の下で、日本は72年間戦争をしなかった」という事実は、戦争はしないという国際的な宣言が有効であることを雄弁に物語っていると思います。(2017.10.5)