広島を訪れました。今までの大会などの参加とは違う発見がありました。
●発見の第一は市電の良さ。
安い!広島駅から原爆ドームまで停留所が13個ぐらいあったように思いますが160円です。一区間210円などの神奈川のバスに比べれば好感度アップ。
また車掌さんがいることに感激。車掌さん、色々聞かれたり案内したり、とても忙しそうでした。つまりこれだけ質問があるという事はワンマンカーの場合、聞きたいことを我慢している乗客がいかに多いかです(旅行客はあまりいないようでしたが)。
「経費が掛かる」といわれる方もいるでしょうが、ここでは見た車両すべて連結車でした。2台分に運転手さんと車掌さんを一人ずつ配置していることになります。
程よく混んでいるという事は、市民になじみ活用されているという事でしょう。平和問題とともに広島の街づくりも興味深いところです。
●次の発見は、大会などでなくても原爆ド-ムや平和記念資料館が人でいっぱいだったことです。子どもや海外の人がとても多いことも嬉しいことでした。
「夏休みだから?」と記念館の人に聞くと、「年中多いですよ。秋や春は修学旅行があるからこんなものじゃないですよ」と頼もしい答え。修学旅行であれ、多くの子どもや若者が毎年訪れているのは貴重なこと。
●入り口でいきなり話題にもなった像に。被爆者が手の皮が垂れ下がり、焼け跡をさまよう場面に「どぎつすぎるから撤去して」という意見があったものです。
でもとんでもありません。再現した像が怖いというなら、実際はどんなに恐ろしく辛かったことか。今逆戻りが強行されようとしている時代に、その恐ろしさを、現実の何百分の一だったとしても目に焼き付けてもらわねばなりません。
そして、日本に再びそのような道を歩ませようとする勢力を阻止しなければなりません。
●原爆投下の日、市の中心部で建物疎開が大規模に行われようとしていたため子どもを含む多くの人が集められ、犠牲者は一段と増えたそうです。
建物疎開自体が胸が痛む話ですが、原爆を初めとした相手の戦力に、全く見合わないことを、竹やりやバケツリレーと同様せっせとやらされていた国民が哀しすぎます。
●ふと足を止めた慰霊碑に書かれたことも、忘れられません。被爆当時、広島の人口は約35万人でした。慰霊碑には当時約10万人の「韓国人」が居住し、そのうち被爆者が2万人と記されていました。(数字については、より正確なデータが必要かもしれませんが)
犠牲者数は言うまでもありませんが、居住者の数に驚きました。軍人・軍属・徴用工・動員学徒等々、軍都広島は多くの人を朝鮮半島から動員したのでしょう。この成り立ちもまた多くの悲劇を思わせます。(2016.8.15)