相模原市議団とともに津久井やまゆり園に行ってきました。
橋本駅から車で40分。山間ののどかな風景が続きます。もうマスコミの姿もなく、外から見れば静かな風景が戻っていました。献花台に花を手向け、犠牲者に手を合わせました。
敷地内には警察の車が一台、警察官が警備で立っています。
敷地も広く園舎も長く続いています。その端には職員宿舎も整っていました。神奈川県が丁寧に作った施設だったのだろうなと、私は思いました。
忌まわしい事件がなければ、自然の懐にも抱かれ、職員と利用者の穏やかな日常が続いていただろうに、と悔しい思いに駆られます。
今は、利用者も職員も凄惨な事件の後遺症に苦しみながら、変則的な生活を強いられています。
自宅に戻ったり、他の施設に移った方を除く男性60名、女性32名(8月5日時点)が、事件現場を避けた居住棟や体育館で暮らしています。
自宅に戻った方の記事を新聞で見ましたが、「早くうちに帰りたい」という言葉が忘れられません。やまゆり園が「我が家」なのです。
救助隊員も息をのんだといわれる現場、およそ改修などでは使えない、間取りを変えたって難しいという声も聞きますが、一方でこの場所に愛着がある、地域の人たちと交流を重ねながら作ってきた場所だから、という声もあります。
難しい選択が迫られます。
隣接する家々の恐怖を思いながら、容疑者が逃走した道、立ち寄ったと思われるコンビニなども通りました。津久井警察もこじんまりとした素朴な建物でした。
直接の被害者にとどまらない犯罪の罪深さを改めて思います。
加えてこの事件は、障がい者の精神と肉体を全否定することから始まりました。関係者のみならず社会に与えた傷の深さは計り知れません。
だからこそ、この容疑者のみの偶発的な事件として解明するのではなく、障がい者を否定する精神性と向き合わなければなりません。差別を助長する時代とも闘いながら、ひとりひとりの命とくらしを守るという政治の原点を取り戻したいと心から思います。(2016.8.10)