●7月5日に亡くなったカメラマン小池汪(おう)さんを偲ぶ会に参加しました。
小池さんと初めてお会いしたのは2013年の川崎市長選。立候補した私の生活や思いを紹介する動画をつくっていただきました。
それ以来、展覧会の案内を頂いたり、ご自宅での集まりに招いて頂いたり、社会に発信する意欲に満ちた小池さんの姿は、何時も刺激的でした。
●2020年に川崎市平和館で、個展「戦争ぐらし」を開催するに当たって会場交渉など、小池さんの思いを保障する運営方法という点からお手伝いさせていただきました。その際にも「平和を守る」執念が伝わってきました。
その後2022年に舞い込んだ案内、11月開催「江戸城、石の故郷」は、また小池さんの別の顔を見せてくれましたが(この作品のすばらしさはまた別の場に委ねるとして)、私にはなぜか唐突感のようなものが付きまとい、やや不安を覚えたことを記憶しています。
そしてその不安と同調するように、私が個展会場に伺った日、小池さんの体調が悪く、会場には来れないとの連絡がありました。
その後お元気になられたというお話も伺いましたが、夏の訃報。89歳でした。
●何とも言えない思いにとらわれました。
柔軟で若々しい姿に、小池さんはいつまでも元気と勝手に思い込んでいました。「人間て死んじゃうんだな」と当たり前のことを、改めて思っています。
もっと小池さんの人生の重みに触れたかった、体調が思わしくなかった半年余りどんな思いだったのだろうかと、いろんなことが頭をよぎりました。
でもその足跡を確実に残せる場合もあります。カメラマンの場合もまさに。
膨大な写真とともに、刊行されたものも多く、市井の人々への眼差し、戦争をなくしたいという普遍的な思い、川崎をはじめとした歴史的な変遷、影向寺などの古刹や仏像への慧眼等々、小池さんのメッセージは、残された人々に訴えかけてきます。これを私たちがどれだけ受け止めることができるかですね。
●偲ぶ会の後、回顧展に行きました。個展などで関りを持っているNさんが付き合ってくださいました。
「一番すごい作品はこれですよ」とNさんが示したのは、影向寺の梁を写した作品。梁にするための削り跡も生々しく残っています。これは天井ではなく、床下の梁。
私が撮ったその作品の写真はとても見づらいと思いますが、小池さんの眼と愛用のカメラでなければ撮れない作品だろうということでした。私はただただ感心するばかり。
*撮影は許可されていましたので、念のため。
また、文字が刻まれた瓦の集合写真にも解説を頂きました。
刻まれた「无射志国荏原評」は、影向寺が大宝律令完成の701年以前の創建であることを表しているといいます。大宝律令後の表記は、「武蔵国荏原郡」だそうです。「郡」は、中央集権によって地方支配の徹底を図った新しい地域単位ということです。この瓦は「荏原評」から701年以前に影向時に寄進されたことになります。
●一つ一つの作品の深さに圧倒されますが、私がいいなあと思ったのは、薬師如来坐像の胎内から発見された女神座像。その優しい顔と姿にホッとしました。
まだまだ作品に浸っていたい思いに後ろ髪惹かれながら、会場を後にしました。
もっと小池さんと話したかったなあ。作品はもちろん小池さん御自身と。(2023.12.2)